崩壊国家で名高いジンバブエの政府から2011年の1年間に国外追放された外国人は100人余りであった、というニュースがありまして、その内訳は予想どおりというか、ほとんど中国人とナイジェリア人だったそうです。
* * *
中国のアフリカ進出がすごい、という話をよく聞きます。たしかにすごい勢いです。ヨーロッパ人が100年かかってアフリカに進出した人数を中国人は10年で超えたとか、ほんとかどうか分からない噂もあったりで。
ジンバブエに在留している日本人は青年海外協力隊の人もいれて70人くらいだそうです。他方、こないだ聞いた話では、ジンバブエにある中国大使館が把握している在留中国人は4000人くらいだとか。中国の人口が日本の人口の約10倍なので日本人の10倍いてもおかしくはないけど、実に50倍以上。で、これでもすごい数だとは思うんですけど、現地の人に聞くと「そんなもんじゃないだろう。」という話です。中国大使館が把握していない中国人の流入がかなりあるはずだとおっしゃる。1万人は下らないだろうとしたり顔で言う人もいる。
私もこのところ縁あってジンバブエに滞在しているんですけど、たしかになんだか素性わかんない中国人がいっぱいいらっしゃる。現地語も英語もほとんどできない人とか。
アフリカではどこでもよくあるんですが、中国政府がアフリカ支援としてスタジアム、国会議事堂、道路、空港、博物館、そういうものを造ってあげていて、その見返りに鉱山の採掘権を得たりしている。で、その際、建築資材から土木作業員から一切合切中国から持ってくるんですけど、そんなことやって人と物の往来が増えて関係が深まり現地事情にも慣れてくると、アフリカの国が発注する公共事業を中国企業が受注するようになる。なんつったって安いし。あるいは中国企業とアフリカ現地企業(公営企業が多い)の合弁事業なんかが立ち上がったりする。
で、たぶん、ここからは推測ですが、そうやって政府や政府系企業の事業の一環としてアフリカに渡ってきた中国人が現地に居残ったり、あるいはアフリカに行った人の「つて」で一旗揚げようと商売にやってくる個人事業の中国人がけっこういるんじゃないかと思うのです。貿易ブローカー、中華料理屋、商店経営などがよく見られますけど、アフリカらしく農業やその関連の商売、さらには鉱業もあるように見えまして。
鉱業っていっても、オーストラリアとかで見られるような大規模に投資してやるやつじゃなくて、ごく小規模なものがアフリカではよくあるんです。砂金堀りに毛が生えたくらいのやつ。何を掘っているのか知りませんが、田舎の方に行った時に思いがけないところに校庭くらいの広さの「鉱山」があって、中国語の看板が立ててあるのを見かけたことあるし、採掘許可を出す役所の窓口は中国人が列をなしてる、という話も聞いたことありますし。
* * *
グローバル化の時代、特殊な技能がなく、高度に知的な仕事をするわけでもない一般労働者の賃金水準はいずれ国際的に収斂すると言われてますけど、たとえ日本の労働者が国内で食い詰めるようになっても、この中国人のアフリカ進出の様相がやがて日本人にも見られるようになるとはちょっと想像しにくいです。
いや、かつて日本人も南米に移住したし、アメリカに憧れて裸一貫で勝負、なんてこともあることにはある。でも、再び日本人が、商機を求めて個人で、あるいは家族や友人同士で「最後のフロンティア」アフリカに大挙して出て行くことはもうないんじゃないでしょうかね。日本はもうそこまで若くはないでしょう。
中国が急速に豊かになっているとはいえ、平均すればまだ一人あたりGDPは日本の10分の1、本国にいてはどんなにがんばっても芽が出ない人々もまだまだ多いんだろうと思うのです。それが、アフリカでうまくいけば、車買って広い家に住んで、使用人さえ雇うこともできる。そういう成功を目指してアフリカに来ている人が多いんでしょう。
そういう、アフリカにある中国大使館でさえ把握していない人の流れがあるのだと思います。アフリカ54か国に在住登録している日本人は合わせて7000人台です。そしてこれも明確な根拠のある数字ではないですけど、アフリカの中国人は100万人を超えているのでないかという話もあります。
中国のアフリカ進出の勢いがすごい、って中国政府・企業の進出や地下資源の獲得の勢いがすごいっていうのもあるけど、「人」の進出もかなり無視できない水準なんじゃないですかね。
* * *
ちなみに、ジンバブエ政府から追い出された中国人は、ほとんどが無許可営業の飲食店、商店の経営者だったそうです。
February 26, 2012
February 11, 2012
動物に遭わないサファリ。
アフリカでサファリのガイドをやっている人が、日本人客を案内して面白い体験をしたというんです。
彼はそのとき、ウォーキング・サファリのガイドをやっていて、そのウォーキング・サファリというのはその名の通り、野っ原を自分の足で歩いて周って動物を見るというものなんですけど、そこのサファリではライオンとか大型動物が出て来たときの安全のため1グループは6人まで、という規則があるらしい。それ以上になるとガイドがお客さんの面倒を見切れなくなるという人数だそうです。
そこに、10人程のグループの日本人ツアー客がやってきた。それで彼が、2グループに分かれて、時間をずらしてウォーキング・サファリに行くようにアレンジしたところ、日本人客たちが何か相談している。で、日本人らがガイドの彼に告げたことが、彼にはすごく意外だったんですと。
「2グループに分かれて行って、片方のグループだけライオンが見れて、もう片方のグループがライオンが見れなかったらイヤなので、そのウォーキング・サファリに参加するのは止めます。」
いいとか悪いとかいう話ではなくて、同じ日本人としてこの感覚は分かるんだよねぇ。「結果の平等が保証されないという理由だけで折角の機会も無にする悪平等」とか、「相互監視と嫉妬の文化」とか、教訓めいた話をする気はさらさらないですけど、こういう結論を出してしまう日本人ならではの空気感は身に覚えがあります。
ガイドの彼とは、「いやあ、それが日本人のfairnessの感覚なんだよね。」と笑って話したんですけどね。
結局、その日のウォーキング・サファリはライオンとかゾウとか大型動物に遭遇する心配のないところにみんなで行く、というアレンジになったそうです。「そこも景色は壮大ですばらしいところではあるんだけどね」と彼は話しておりました。
しかし、動物に遭わないサファリって、ねぇ。
January 29, 2012
独裁で何が悪い?
大学で政治学を専攻したわけでもないし、政治史の本をよく読んでるというわけもないんですけど、日本人にしては中東やアフリカに住んだり出張したりが多くて「独裁」には縁がある方なので、それなりに考えることはあります。学術的には穴だらけの理屈なのでしょうが、体感的にはこんなふうに考えられたよ、という話をメモっておきます。
* * *
独裁で何が悪いんでしょう?
アフリカや中東には正真正銘の独裁、独裁的な大統領、王制など、民主主義とは呼べない独裁的な統治をやっている国がたくさんあります。それで何が悪いのか。
悪くないと思うんです。ただし、統治が公正である限りは。そして国家権力が暴力的でない限りは。
プラトンだって、高い見識を持った哲人が私心を脇において国家を第一に考えて統治するような、為政者のノブレス・オブリージュに期待するような哲人政治をよしとしたんじゃなかったけ?ローマだって中国だって、善政を敷く賢帝の出た時代は幸せでした、と世界史の教科書に書いてあった気がする。
独裁者が有能で公正である限りは独裁って悪くない。そう思うのです。特にアフリカや中東みたいに、貧しかったり、国家よりも一族の繁栄の方が重要だったり、拮抗する派閥間の対立が厳しかったり、あるいはその全てがあったりすると、民主主義の実践は皮肉にも暴力や腐敗を生み、却って国を不安定化・弱体化させているように見える。
ただね、独裁を肯定するには、「統治が公正で暴力的でない限り」、「独裁者が有能で公正である限り」という留保が付く。そしてこれがどうしようもなく難しいんでしょうね。
為政者本人が優れていて清廉であっても、その権力を傘に着る大臣や官僚のすべてが公正で清廉などということはあり得ない。国家は為政者が一人で治めるには大き過ぎ、必ず統治の機構が要るんだけど、その機構はきっと利権に溺れ、縁故主義に走る。時に反対する者を暴力で潰す。
為政者が有能である、ってこの統治機構にまでその徳の威光を浸透させることができる、ということなのかもしれないけど、それはちょともう、哲人っていうか神の領域のような気がする。「絶対権力は絶対腐敗する。」という格言を持ち出すまでもなく、「よい独裁」って難しい。
そして、そこからがさらに問題。失敗した独裁者、独裁政権には、それを穏便に交代させる仕組みがないのです。武力弾圧される危険を冒してデモをやるか、出待ちして襲うか、いずれにしろ合法的に手続きに則って退陣させる方法がない。
有能で公正な独裁政権は悪くない。が、そういう独裁政権は滅多にできない。できてもやがて腐る。そして腐ってしまっても交換できない。
いろいろ問題があるし、完全無敵なシステムではないですけど、この一点で民主主義が優れているのだと思うのです。すなわち、民主主義は失敗した為政者を交代させる仕組みが内蔵されている。
* * *
中東やアフリカを見ていると、欧米式の自由で公正な普通選挙を基本とする民主主義システムを強制するのは却って国を不安定化させ、暴力を誘発し、貧困を悪化させる側面があるようにも見える。といって、とんでもなくヤクザな独裁政権をのさばらせておくのも許しがたい。
どこまで為政者の無茶を許すのか。アジアでよく見られた開発独裁というのがそのひとつの妥協点なのか。あるいは、アフリカでしばしば見られる、族長や各勢力のドンが話し合いと妥協で方向を決め、たとえそれが非合理的な内容であってもその権威にみんなが従う「長老政治」的なものを認めることが解になり得るのか。またあるいは、中東諸国ではイスラム教を倫理の規範とすることで為政者の暴走に歯止めがかかると信じていいのか。
現に今生きている人々の日々の暮らしの安定と向上を目指すのなら、妥協点は厳格な民主主義と厳格な独裁主義の間にあるんじゃないのかなあと考えたりするのです。欧米的な民主主義は、それなりの豊かさを達成した後の導入でもいいんじゃないか、とね。
* * *
独裁で何が悪いんでしょう?
アフリカや中東には正真正銘の独裁、独裁的な大統領、王制など、民主主義とは呼べない独裁的な統治をやっている国がたくさんあります。それで何が悪いのか。
悪くないと思うんです。ただし、統治が公正である限りは。そして国家権力が暴力的でない限りは。
プラトンだって、高い見識を持った哲人が私心を脇において国家を第一に考えて統治するような、為政者のノブレス・オブリージュに期待するような哲人政治をよしとしたんじゃなかったけ?ローマだって中国だって、善政を敷く賢帝の出た時代は幸せでした、と世界史の教科書に書いてあった気がする。
独裁者が有能で公正である限りは独裁って悪くない。そう思うのです。特にアフリカや中東みたいに、貧しかったり、国家よりも一族の繁栄の方が重要だったり、拮抗する派閥間の対立が厳しかったり、あるいはその全てがあったりすると、民主主義の実践は皮肉にも暴力や腐敗を生み、却って国を不安定化・弱体化させているように見える。
ただね、独裁を肯定するには、「統治が公正で暴力的でない限り」、「独裁者が有能で公正である限り」という留保が付く。そしてこれがどうしようもなく難しいんでしょうね。
為政者本人が優れていて清廉であっても、その権力を傘に着る大臣や官僚のすべてが公正で清廉などということはあり得ない。国家は為政者が一人で治めるには大き過ぎ、必ず統治の機構が要るんだけど、その機構はきっと利権に溺れ、縁故主義に走る。時に反対する者を暴力で潰す。
為政者が有能である、ってこの統治機構にまでその徳の威光を浸透させることができる、ということなのかもしれないけど、それはちょともう、哲人っていうか神の領域のような気がする。「絶対権力は絶対腐敗する。」という格言を持ち出すまでもなく、「よい独裁」って難しい。
そして、そこからがさらに問題。失敗した独裁者、独裁政権には、それを穏便に交代させる仕組みがないのです。武力弾圧される危険を冒してデモをやるか、出待ちして襲うか、いずれにしろ合法的に手続きに則って退陣させる方法がない。
有能で公正な独裁政権は悪くない。が、そういう独裁政権は滅多にできない。できてもやがて腐る。そして腐ってしまっても交換できない。
いろいろ問題があるし、完全無敵なシステムではないですけど、この一点で民主主義が優れているのだと思うのです。すなわち、民主主義は失敗した為政者を交代させる仕組みが内蔵されている。
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中東やアフリカを見ていると、欧米式の自由で公正な普通選挙を基本とする民主主義システムを強制するのは却って国を不安定化させ、暴力を誘発し、貧困を悪化させる側面があるようにも見える。といって、とんでもなくヤクザな独裁政権をのさばらせておくのも許しがたい。
どこまで為政者の無茶を許すのか。アジアでよく見られた開発独裁というのがそのひとつの妥協点なのか。あるいは、アフリカでしばしば見られる、族長や各勢力のドンが話し合いと妥協で方向を決め、たとえそれが非合理的な内容であってもその権威にみんなが従う「長老政治」的なものを認めることが解になり得るのか。またあるいは、中東諸国ではイスラム教を倫理の規範とすることで為政者の暴走に歯止めがかかると信じていいのか。
現に今生きている人々の日々の暮らしの安定と向上を目指すのなら、妥協点は厳格な民主主義と厳格な独裁主義の間にあるんじゃないのかなあと考えたりするのです。欧米的な民主主義は、それなりの豊かさを達成した後の導入でもいいんじゃないか、とね。
January 14, 2012
南部アフリカの物価高。
日本から見ると東南アジアの物価は一般に安くて、年金生活に入ったらクアラルンプールで悠々暮らしましょう、なんていう人もいたりするので、途上国の物価は日本より安いもんだという印象がありますが、そうでもないところがあります、という話。南部アフリカなんですけどね。
世界の生活費の高い都市ランキングでニューヨークや東京、モスクワやムンバイも差し置いて、アンゴラの首都ルアンダが一位になったというニュースとか、聞いたことありません?
高いんですよ、南部アフリカの物価は。
貧困問題が深刻で開発が遅れている南部アフリカ、物流やインフラが不十分で、物資の調達も難しければ、電気や水も安定供給されない。そんなところで健康で文化的な生活を営もうとすると、えらいお金がかかるのです。富裕〜中間層の人々や外国人が住宅を探そうとすると、単身赴任や夫婦2人用程度のところでも、ルアンダでは家賃が月4000ドルを超える水準だと聞きます。それが豪邸かというと、実は断水や雨漏りの絶えない家だったりする。なんてことないビジネスホテルが1泊400ドル、しかも料金前払いでデポジットしなくちゃいけない、とかいう話も聞きます。
日用品もみんな割高。先進国品質の物を持って来るのが大変で、途中でマージンもいっぱいかけるんでしょう、コーンフレークが一箱1000円、みたいな感じらしいです。で、必要ならばそこで買うしかない。他に行けば安い、なんてことはない。
要は貧しく厳しい環境なので、そこで先進国水準のものを調達しようとするとコストが掛かる、かつ、その供給が少ないので競争が働かない、ということで値段が高止まりしてしまう。
だったら、そこに参入して一儲けできそうな気もするんですが、参入しようにもビジネス環境が悪いし、リスクを取って参入するには市場が小さく旨味も少ない。なので、高い物価が放置される、という構造のようです。
中でもアンゴラは石油を産出するので経済が好調、ビジネス客の流入に対しマトモな住宅や物資の供給が十分追いつかないという事態になってとんでもない物価高になったらしい。
他方、南部アフリカで最も発展していて、もはや途上国とは呼べない水準に来ている南アフリカ共和国の物価が周辺国より安いというのも納得です。大手を含むたくさんの事業者がいて競争する大きな消費市場があるし、物流も通信もまともなので国際市場ともリアルタイムにつながっている。南アフリカの物価は日本よりやや安いと感じますよ。
じゃあ、南部アフリカの貧しい多くの人々はどうやって生活しているのか?
切り離されているのです。違うレイヤーで生活している。日常的に現金で買うものは、主食(トウモロコシの粉とか)、食用油、砂糖、あとはせいぜい携帯電話の通話料か、というところで、その他の消費が少ないのです。半分自給自足のような生活で、都市部とは大きく異なる生活です。同じ国の中、同じ国土の上で生活していながら、全然違う生活をしています。「格差」というよりは「断絶」という感じですよ。で、前に書いた「現実はひとつじゃない。」という状況にも陥るわけです。
アフリカ全体でGDPが年率6%成長、10億の人々が暮らすアフリカの時代は近いと言われますけど、この断絶、忘れられた人々をどう包含していくか、なかなか簡単な話じゃないと思いますよ、ほんと。
世界の生活費の高い都市ランキングでニューヨークや東京、モスクワやムンバイも差し置いて、アンゴラの首都ルアンダが一位になったというニュースとか、聞いたことありません?
高いんですよ、南部アフリカの物価は。
貧困問題が深刻で開発が遅れている南部アフリカ、物流やインフラが不十分で、物資の調達も難しければ、電気や水も安定供給されない。そんなところで健康で文化的な生活を営もうとすると、えらいお金がかかるのです。富裕〜中間層の人々や外国人が住宅を探そうとすると、単身赴任や夫婦2人用程度のところでも、ルアンダでは家賃が月4000ドルを超える水準だと聞きます。それが豪邸かというと、実は断水や雨漏りの絶えない家だったりする。なんてことないビジネスホテルが1泊400ドル、しかも料金前払いでデポジットしなくちゃいけない、とかいう話も聞きます。
日用品もみんな割高。先進国品質の物を持って来るのが大変で、途中でマージンもいっぱいかけるんでしょう、コーンフレークが一箱1000円、みたいな感じらしいです。で、必要ならばそこで買うしかない。他に行けば安い、なんてことはない。
要は貧しく厳しい環境なので、そこで先進国水準のものを調達しようとするとコストが掛かる、かつ、その供給が少ないので競争が働かない、ということで値段が高止まりしてしまう。
だったら、そこに参入して一儲けできそうな気もするんですが、参入しようにもビジネス環境が悪いし、リスクを取って参入するには市場が小さく旨味も少ない。なので、高い物価が放置される、という構造のようです。
中でもアンゴラは石油を産出するので経済が好調、ビジネス客の流入に対しマトモな住宅や物資の供給が十分追いつかないという事態になってとんでもない物価高になったらしい。
他方、南部アフリカで最も発展していて、もはや途上国とは呼べない水準に来ている南アフリカ共和国の物価が周辺国より安いというのも納得です。大手を含むたくさんの事業者がいて競争する大きな消費市場があるし、物流も通信もまともなので国際市場ともリアルタイムにつながっている。南アフリカの物価は日本よりやや安いと感じますよ。
じゃあ、南部アフリカの貧しい多くの人々はどうやって生活しているのか?
切り離されているのです。違うレイヤーで生活している。日常的に現金で買うものは、主食(トウモロコシの粉とか)、食用油、砂糖、あとはせいぜい携帯電話の通話料か、というところで、その他の消費が少ないのです。半分自給自足のような生活で、都市部とは大きく異なる生活です。同じ国の中、同じ国土の上で生活していながら、全然違う生活をしています。「格差」というよりは「断絶」という感じですよ。で、前に書いた「現実はひとつじゃない。」という状況にも陥るわけです。
アフリカ全体でGDPが年率6%成長、10億の人々が暮らすアフリカの時代は近いと言われますけど、この断絶、忘れられた人々をどう包含していくか、なかなか簡単な話じゃないと思いますよ、ほんと。
January 11, 2012
年末年始、一時帰国してました。
新しい1年が始まりました。
年末年始は約8ヶ月ぶりに日本に戻ったりで、盛りだくさんの時間を過ごしておりました。(で、寒い日本滞在の最終盤でカゼを引いてしまったのですが。)
前回の帰国は2011年3月下旬〜4月下旬の震災直後で騒然とした時期でしたが、今回はそれから半年以上の時間を置いてからの帰国で、この間の日本国内の空気の変化を肌で感じることができました。正月だったということもあるのでしょうが、新年を占うというか、世界はどうなる、日本をどうする、といった前向きの話も多くて、課題山積、見通し不良の中にも新しい社会への手がかりを模索する気概、新時代への胎動に気付く日本滞在になりましたよ。節電のための消灯が減って、見るからに「街が暗い」ということもなくなっていましたしね。
たしかにそう悪くはないと思うんです。ダメだダメだと嘆き、厳しい批判をすることが識者然としてカッコイイと思ってそうな鬱陶しい人も多いし、地震・津波の被災地域はまだまだ厳しい状況なので「大丈夫」などと軽々には言えないのは承知してますが、実際に東京や実家のある福岡に滞在してみると、拍子抜けするほどみんな元気。魅力的な人がたくさんいて、いろんな街があって、メディアも多くて、ネットも早くて、何気なく生活していても自然と入ってくる情報が多くて、刺激的。洗練されていて、清潔で、でも猥雑で、なんでもあって、おいしくて、快適。
文句や要求ばっかりでうるさい人々や、科学的根拠はないけど一般受けのいい言説におもねるマスコミ、そしてそれらを恐れて身動きが取れない政治、そんなのばかりが目立ってますけど、考えている人、行動する人もちゃんといて、言うほどどうしようもなくはない。インフラや市民社会も健全で力強く、日本の基礎体力はまだそこまで落ち込んでもないよなって思えた。
まあね、私がもっとどうしようもない国ばかりを見て来たということもあるでしょうが、それでも少なくとも日本は相対的にマトモな国である、とは言えるわけでして。
無邪気に現状を肯定しているわけではないのです。
課題、問題があることもこれまた事実なので、当然ながら手を打っていかなくてはいけない。混乱もあると思う。危険な兆候もある。対応に失敗して苦境に陥ることもあると思う。でも、それでも、時間は前にしか進まないんだし、これだけたくさんの人が前を向いて歩いているんだから、きっとそれなりのカタチにはなっていくんじゃないの?
なにポリアンナみたいな能天気なことを言ってるのと怒られそうですけど、年の初めはちょっと楽観的な気分の日本滞在でございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
November 27, 2011
現実はひとつじゃない。
ニュースドキュメンタリーを撮影するフリーランスの人を表彰するRory Peck賞というのがありましてですね。
「The Rory Peck Trust」
http://www.rorypecktrust.org/page/1/Home
2011年の受賞者に「Zimbabwe's Forgotten Children」を撮ったJezza Neumannという人が選ばれてます。この「Zimbabwe's …」は去年の8月にBBCで放映されたようですが、(http://www.bbc.co.uk/programmes/b00r5ww9)すでにYouTubeにもいろいろアップロードされているようですし、今度BBC Worldでもダイジェストを再放送するそうです。
で、この「Zimbabwe's …」、私はほんの一部分しか見てないんですが、かなり辛い内容。ジンバブエの田舎で、お父さんは既にHIV/AIDSで亡くなっていて、お母さんもAIDSを発症してもう動けないという9歳の女の子が、妹とお母さんの面倒を看ています、という内容。たぶんその子自身もHIVポジティブ。
その子の住んでいる村の学校など周辺の様子も映るんですけど、それがもう、これが日本人が「アフリカ」と聞いて思い浮かべる景色でしょう、という典型的な貧しさ。一応学校の建物はあるんだけど、荒廃してただレンガを積んだだけって感じになってて、その中に貧しそうな子どもが集まってる。服もろくに着てない、ホコリっぽい子どもたち。そして、その学校にさえ行けない子がたくさんいます、というお話。
AIDSのお母さんの面倒を見ている(シモの世話までしている)その子ですが、Jezza Neumannさんが取材をしている期間中に、お母さんが死んでしまう。するとその子は、「もうこれで面倒を見なくてよくなったのでほっとした。」と言うんですよね。お母さんが死んだのに、9歳の女の子がこういうことを言ってしまう状況って、ほんと辛い。見てて胸が潰れます。
一方で。
このところ縁あってジンバブエの首都ハラレに滞在しているんですが、昨日、近所のショッピングモールに行ったら、カワサキの新車の大型バイクの屋外展示会をやってました。露店でソフトクリームやホットドッグも売ってて、およそアフリカとは思えない雰囲気です。このショッピングモールが特別な場所なのかと言われれば、ハラレ市内にこの手のモールは何か所でもあるし、客は白人の割合が高いとはいえ、黒人も普通にそぞろ歩いてる。そもそも、ジンバブエ国内はハラレに限らず、主要な町や観光地には、すてきなリゾート風のホテルやロッジがいくらでもある。
どちらも現実なのです。忘れ去られた子どもたちが、AIDSの親の面倒を見なきゃいけなかったり、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけなかったりする現実もある。他方で、朝からお母さんに起こされて朝食を食べたら車で広い芝生の校庭がある学校に送ってもらって、学校帰りにはファーストフードでピザを買って帰る、そんな生活も一般的。
その差に愕然とします。
この20年くらいで日本でも格差が格差がとうるさくなってきましたが、アフリカのこの格差に比べたら、ちょっともう、恥ずかしくて話題に持ち出せないくらいです。
ちなみに、ジンバブエはメディアの取材活動が極めて難しい国のひとつです。そもそも政府はほとんど取材許可を出さないらしく、中央情報局や警察の監視の目も厳しいし、取材活動を犯罪として取り締まることのできる法律もあります。それどころか、なんでもないところでも街中で写真を撮ったりビデオを撮ったりしただけで、すぐにトラブルになります。プライバシー保護法みたいなのもあって、警察や中央情報局とは関係なくても、街でぶらぶらしている若者から難癖つけられたりしますしね。私がハラレに滞在していてもハラレ市内の写真をほとんど持っていないのは、街中でカメラを構えることのリスクが高すぎるからでもあるんです。そんなややこしい国なので、「Zimbabwe's …」の撮影もほとんど隠し撮りらしいです。Jezza Neumannさんはインタビューで、一応なんとか撮影許可は取ったけど12回も職務質問を受けたと言ってました。
しかし、ジンバブエ政府当局(ムガベ大統領与党)が外国メディアの取材を厳しく規制する動機も、その立場になって考えれば理解はできます。カダフィや金日成が盟友だというムガベ大統領の与党は欧米とは敵対していて、欧米のメディアは「ジンバブエはこんなにヒドい。」という映像を撮りたがる。そんな状況で自由に取材させれば、「Zimbabwe's …」みたいな番組ばかりが作られることになる。そしたら、ジンバブエに対する風当たりがますます強くなる。だから「西側メディアは偏向した報道をするので、正しい情報を伝えるため、政府が管理する必要がある。」などと言いだす。無論、むやみやたらな取材規制は是認できないし、テレビやラジオが全部国営っていうのが健全なはずはないのですが。
要は、現実は複数あるのです。
家もなく今日食べるものの算段もないままAIDSの母親の世話を焼く女の子や、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけない少年がいるのも現実で、カワサキの大型バイクが売れたり、生活習慣病が社会問題になったりしているのも現実。アフリカの小国(ジンバブエは実はそんなに小国ではありませんが)だからといって、一色で塗り込められているわけでないのです。しかし、如何せん日本からは遠くて情報も少ないので、パターン化したイメージに陥りやすい。Jezza Neumannさんの「Zimbabwe's …」のような作品で、見逃されがちなアフリカの問題を世に問うていくことは大切なことですが、それがアフリカのすべてではないことも覚えておきたいと思うのです。
* * *
しかし、このところハラレ市内でやたらに道路脇を掘り返しているのはインターネット用の光ファイバーを埋設しているらしい。聞けば、ハラレだけじゃなくて、国内主要都市から国外まで繋ぐそうな。政府がメディアを規制しても、インターネットがもっと安く、速く、安定して使えるようになったら、事情は変わる気がします。携帯電話も今はテキストメッセージと音声通話がほとんどですが、徐々にデータ通信も普及し始めているみたいだしね。
「The Rory Peck Trust」
http://www.rorypecktrust.org/page/1/Home
2011年の受賞者に「Zimbabwe's Forgotten Children」を撮ったJezza Neumannという人が選ばれてます。この「Zimbabwe's …」は去年の8月にBBCで放映されたようですが、(http://www.bbc.co.uk/programmes/b00r5ww9)すでにYouTubeにもいろいろアップロードされているようですし、今度BBC Worldでもダイジェストを再放送するそうです。
で、この「Zimbabwe's …」、私はほんの一部分しか見てないんですが、かなり辛い内容。ジンバブエの田舎で、お父さんは既にHIV/AIDSで亡くなっていて、お母さんもAIDSを発症してもう動けないという9歳の女の子が、妹とお母さんの面倒を看ています、という内容。たぶんその子自身もHIVポジティブ。
その子の住んでいる村の学校など周辺の様子も映るんですけど、それがもう、これが日本人が「アフリカ」と聞いて思い浮かべる景色でしょう、という典型的な貧しさ。一応学校の建物はあるんだけど、荒廃してただレンガを積んだだけって感じになってて、その中に貧しそうな子どもが集まってる。服もろくに着てない、ホコリっぽい子どもたち。そして、その学校にさえ行けない子がたくさんいます、というお話。
AIDSのお母さんの面倒を見ている(シモの世話までしている)その子ですが、Jezza Neumannさんが取材をしている期間中に、お母さんが死んでしまう。するとその子は、「もうこれで面倒を見なくてよくなったのでほっとした。」と言うんですよね。お母さんが死んだのに、9歳の女の子がこういうことを言ってしまう状況って、ほんと辛い。見てて胸が潰れます。
一方で。
このところ縁あってジンバブエの首都ハラレに滞在しているんですが、昨日、近所のショッピングモールに行ったら、カワサキの新車の大型バイクの屋外展示会をやってました。露店でソフトクリームやホットドッグも売ってて、およそアフリカとは思えない雰囲気です。このショッピングモールが特別な場所なのかと言われれば、ハラレ市内にこの手のモールは何か所でもあるし、客は白人の割合が高いとはいえ、黒人も普通にそぞろ歩いてる。そもそも、ジンバブエ国内はハラレに限らず、主要な町や観光地には、すてきなリゾート風のホテルやロッジがいくらでもある。
どちらも現実なのです。忘れ去られた子どもたちが、AIDSの親の面倒を見なきゃいけなかったり、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけなかったりする現実もある。他方で、朝からお母さんに起こされて朝食を食べたら車で広い芝生の校庭がある学校に送ってもらって、学校帰りにはファーストフードでピザを買って帰る、そんな生活も一般的。
その差に愕然とします。
この20年くらいで日本でも格差が格差がとうるさくなってきましたが、アフリカのこの格差に比べたら、ちょっともう、恥ずかしくて話題に持ち出せないくらいです。
ちなみに、ジンバブエはメディアの取材活動が極めて難しい国のひとつです。そもそも政府はほとんど取材許可を出さないらしく、中央情報局や警察の監視の目も厳しいし、取材活動を犯罪として取り締まることのできる法律もあります。それどころか、なんでもないところでも街中で写真を撮ったりビデオを撮ったりしただけで、すぐにトラブルになります。プライバシー保護法みたいなのもあって、警察や中央情報局とは関係なくても、街でぶらぶらしている若者から難癖つけられたりしますしね。私がハラレに滞在していてもハラレ市内の写真をほとんど持っていないのは、街中でカメラを構えることのリスクが高すぎるからでもあるんです。そんなややこしい国なので、「Zimbabwe's …」の撮影もほとんど隠し撮りらしいです。Jezza Neumannさんはインタビューで、一応なんとか撮影許可は取ったけど12回も職務質問を受けたと言ってました。
しかし、ジンバブエ政府当局(ムガベ大統領与党)が外国メディアの取材を厳しく規制する動機も、その立場になって考えれば理解はできます。カダフィや金日成が盟友だというムガベ大統領の与党は欧米とは敵対していて、欧米のメディアは「ジンバブエはこんなにヒドい。」という映像を撮りたがる。そんな状況で自由に取材させれば、「Zimbabwe's …」みたいな番組ばかりが作られることになる。そしたら、ジンバブエに対する風当たりがますます強くなる。だから「西側メディアは偏向した報道をするので、正しい情報を伝えるため、政府が管理する必要がある。」などと言いだす。無論、むやみやたらな取材規制は是認できないし、テレビやラジオが全部国営っていうのが健全なはずはないのですが。
要は、現実は複数あるのです。
家もなく今日食べるものの算段もないままAIDSの母親の世話を焼く女の子や、学校にも行かず砂金掘りをしなきゃいけない少年がいるのも現実で、カワサキの大型バイクが売れたり、生活習慣病が社会問題になったりしているのも現実。アフリカの小国(ジンバブエは実はそんなに小国ではありませんが)だからといって、一色で塗り込められているわけでないのです。しかし、如何せん日本からは遠くて情報も少ないので、パターン化したイメージに陥りやすい。Jezza Neumannさんの「Zimbabwe's …」のような作品で、見逃されがちなアフリカの問題を世に問うていくことは大切なことですが、それがアフリカのすべてではないことも覚えておきたいと思うのです。
* * *
しかし、このところハラレ市内でやたらに道路脇を掘り返しているのはインターネット用の光ファイバーを埋設しているらしい。聞けば、ハラレだけじゃなくて、国内主要都市から国外まで繋ぐそうな。政府がメディアを規制しても、インターネットがもっと安く、速く、安定して使えるようになったら、事情は変わる気がします。携帯電話も今はテキストメッセージと音声通話がほとんどですが、徐々にデータ通信も普及し始めているみたいだしね。
November 12, 2011
地に足の着いた記事。
当地のネット環境はすこぶる悪くて、完全にダウンしてしまうこともあれば、つながってもやたらに遅かったり、開けないページが続出したりしてます。それでも、やっぱりネットがつながらないと今どきお話にならないので、オタオタするネット接続に膨大な時間を無駄にしながら、なんとかしのいでいる状況です。
* * *
それで、まあ、いろんな記事や論説やエッセイやスレッドを読むわけですが、あらためて気付くのは、机上で(というか端末の前に座っているだけで)練られた文章は、その底の浅さが分かるよなってことですよね。
たとえ短い文章やコメントでも、書き手の長年の研究や取材に裏打ちされたもの、書き手が本業としていることを書いたもの、あるいは少なくとも書き手の実体験を踏まえて書かれている物は、それが日本語がこなれていない文章であっても、私の意見とは相意入れない主張であっても、魅力的な物が多いです。
大昔、塾講師をやったり、教育実習に行ったりしたときには気付いていたことですが、授業はたった1時間で、そこに盛り込む内容が限られても、人にそれだけのことを説明しようと思ったら、その裏にはかなり膨大な知識や情報、下準備がないと対応できないものですよ。
ほんの一言、ほんの一文でも、ちゃんと知っている人じゃないと発言できないことって多い。
* * *
私もすでにアラフォーで、それなりにいろいろ仕事もしてきて、不十分ながらも一言意見がある分野があったりするのですが、特にそういう分野では、ただネットで情報を見て分かったようなことをもっともらしく語っているだけの人に気付くことも多いです。「だれかの意見の受け売りでしょう?実際にはちゃんと見たこともないし、考えたこともないでしょう?」っていう感じで。
そしてまた、振り返ると自分自身も、別の分野ではそういう素人意見で分かったような顔をしていることがあって、今さらながらにひとり恥ずかしい思いをしたりしてます。
ということで、人様に読まれる記事は、できるだけ自分がちゃんと知っていることを、自分が経験していることを書こうと思った次第であります。
* * *
で、今書いたことって、記事を書くということについての記事、というメタな記事になってしまってるのですが、これは「自分がちゃんと知っていることを、自分が経験していること」に相当するのでしょうかね・・・。
* * *
それで、まあ、いろんな記事や論説やエッセイやスレッドを読むわけですが、あらためて気付くのは、机上で(というか端末の前に座っているだけで)練られた文章は、その底の浅さが分かるよなってことですよね。
たとえ短い文章やコメントでも、書き手の長年の研究や取材に裏打ちされたもの、書き手が本業としていることを書いたもの、あるいは少なくとも書き手の実体験を踏まえて書かれている物は、それが日本語がこなれていない文章であっても、私の意見とは相意入れない主張であっても、魅力的な物が多いです。
大昔、塾講師をやったり、教育実習に行ったりしたときには気付いていたことですが、授業はたった1時間で、そこに盛り込む内容が限られても、人にそれだけのことを説明しようと思ったら、その裏にはかなり膨大な知識や情報、下準備がないと対応できないものですよ。
ほんの一言、ほんの一文でも、ちゃんと知っている人じゃないと発言できないことって多い。
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私もすでにアラフォーで、それなりにいろいろ仕事もしてきて、不十分ながらも一言意見がある分野があったりするのですが、特にそういう分野では、ただネットで情報を見て分かったようなことをもっともらしく語っているだけの人に気付くことも多いです。「だれかの意見の受け売りでしょう?実際にはちゃんと見たこともないし、考えたこともないでしょう?」っていう感じで。
そしてまた、振り返ると自分自身も、別の分野ではそういう素人意見で分かったような顔をしていることがあって、今さらながらにひとり恥ずかしい思いをしたりしてます。
ということで、人様に読まれる記事は、できるだけ自分がちゃんと知っていることを、自分が経験していることを書こうと思った次第であります。
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で、今書いたことって、記事を書くということについての記事、というメタな記事になってしまってるのですが、これは「自分がちゃんと知っていることを、自分が経験していること」に相当するのでしょうかね・・・。
October 23, 2011
「職業に貴賤はない」の例外。
職業に貴賤はないという。名目はそうじゃないとただでさえつらい仕事で心が折れそうな人がくさっちゃうので、そう言わざるを得ないと思う。でも、尊い職業っていうのはあると思うんですよね。ひとつだけ例外的に尊い職業。
以下は、私の個人的な信条であって、正しいとか間違いとかいう話じゃないですので、気に入らない人は適当に無視してくれればと。
* * *
高校生の頃からぼんやり考えているんですけど、この世で一番尊い、貴賤でいえば「貴」の方の職業は科学者だと思うのです。それも応用科学じゃなくて、純粋科学、ハードサイエンスに携わる人々。
人間って、他の動物と違う頭脳という器官を持つ種として発生して以来、ずっと「我々は何者?」「この世界って何?」っていう究極の疑問を抱き続けてきたわけで、科学者っていうのは、その疑問に真っ正面から望んでいる人たちでしょう? 人とは何か、人類とは何か、生命とは何か、世界とは何か、という本質的な疑問に挑み続けてる。
社会っていうのは、私に言わせれば、そんな科学の営みを支えるためにあると言ってもいいくらいです。世界の優秀な才能と、少なくない資金を投入して人類の究極の疑問に望むためには、豊かで安定した社会が必要です。究極の疑問に臨む、選ばれた人々の尊い営みを支えるために、あらゆる社会の営みが必要とされている、そういうことなんじゃないかと。
こんな話をしていると、触れざるを得ない話題は宗教の話だと思いますが、私は、宗教は、科学が究極の問いに挑戦し続けている間、普通の人々が心穏やかに秩序ある社会生活を送るための仕組みじゃないかと思うのです。
星空を眺めたり、人の死に接したり、普通に社会生活を送っていても「我々は何者?」「この世界って何?」っていう疑問はときどき頭をもたげてくる。そして解けない疑問に心が乱されることもある。宗教はそんなときに、心の平安を得るための仕組みじゃないか? 宗教には社会倫理や、芸術、文学などを生み出す力もあるけれど、根っこのところは、答えのない理不尽な世界に生きて行く人々の、揺れる気持ちを抑えるのがその機能なんじゃない?
* * *
「科学 宗教」というキーワードでAmazonで検索したら和書だけでも1800冊以上ある。ここで私がちらっと書いてどうこうっていうレベルの話じゃないのは分かってる。
ただ、純粋科学のプロジェクトには可能な限り予算を割き、そこに世界で最も優れた才能の人々に従事してもらうのは人類の人類としてのライフワークであり、その最先端を行く科学者は「貴」の仕事をしている人々と看做してもいいだろうと思うのです。
* * *
そんな私は、10年以上も前ですが、物理学研究科で原子核物理を修了。でも、それ以上の研究生活を送るだけの才能が自分にはないことをそのとき自覚しましたよ。で、今、純粋科学とはおよそ関係のない仕事をしています。しかし、みんなが社会に参加してそれぞれの才能で社会をもっと豊かにしていくべき、そしてその中でも特別に才能に恵まれた人は純粋科学の世界に挑戦してほしい、そんなことを考えながら、明日も仕事に出かけるのです。
October 11, 2011
ヨハネスバーグ空港の話。
南アフリカの空の玄関口、ヨハネスバーグのO.R.Tambo国際空港。評判良くないです。南アフリカ自体が治安の悪いことで有名なので(といって、全土にわたって旅行者が外出できないほど荒れている、というわけではないんですけどね)、さもありなんという話ではあるんですが、とにかくヨハネスバーグ空港の良くないウワサ、聞いただけで本当かどうか分かんない話も多いですけど、とりあえず書いてみますよ。
まず、預け入れ荷物が紛失する、中身が盗られる件。空港職員がグルらしく、X線検査装置を使って金目の物が入っているスーツケースを特定しピンポイントで盗むという話です。私もやられましたよ。スーツケースを開けられて、お土産用の腕時計(安いヤツですけど)だけを抜かれました。腕時計の箱は残っていたのがまた腹が立つ。
空港職員がグル、というレベルではなく、シンジケートがあるとの話もあります。ビジネスとして一定の割合でスーツケースを盗っているのだとか。疑いのある空港職員を解雇しても、新規に雇用される職員がシンジケートにつながっているので改善しないらしい。
一度、イギリス系のコンサルト会社に空港での荷物のハンドリングの改善業務を委託したけれど、そのコンサル会社は途中で業務を降りたというウワサも聞きました。その理由は「命が危ないので。」だったそうです。
それで、乗客側の対抗策として、預け入れるスーツケースをプラスチックフィルムでぐるぐる巻きにすることが始められました。フィルムでぐるぐる巻きにすればスーツケースを開けにくくなる、開けようという気を失せさせるということで効果的なようです。が、あるときヨハネスバーグ空港を利用したら、前回までなかったフィルムぐるぐる巻き屋さんが空港内にたくさんできていてびっくりしましたよ。荷物の盗難、紛失に抜本的対策が打てていない中、とりあえずフィルムぐるぐる巻きサービスでお金を稼ごうというその魂胆がまた腹立たしい。。。
私の場合、ヨハネスバーグ空港を経由してジンバブエのハラレの空港で荷物を取り出す時に荷物が出てこず、出てきた時にはスーツケースに開けらた痕跡があって、そこで荷物のクレームをしたんですが、ハラレの空港の人が言うには、「荷物のことでクレームがつくのはほとんどヨハネスバーグからのフライトばっかり。ナイロビやアディスアベバからくるフライトではそんなにクレームない。」とのこと。やれやれです。
ヨハネスバーグ空港に着いたある乗客が、宿泊するホテルへの行き方を空港職員に聞いたら、その職員が悪党とつながっていて、行き先のホテルで待ち伏せされたという事件もあったと聞きましたねぇ。
それから、犯罪ではないんですけど、ヨハネスバーグ空港では自分のフライトのチェックインカウンターがどこか、非常に分かりにくいんです。電光表示板では2時間先くらいまでのフライトについてしかチェックインカウンターの番号が表示されておらず、それも表示板ごとに表示内容が違う。国際、地域、国内でなんとなく分けられているようにも見えるけど、徹底していない感じ。それで、広い空港をウロウロ探しまわることになるんですが、乗り継ぎ時間に余裕がない時はかなり焦ります。ときどき、空港職員やポーター風の人が教えてくれるんですが、言っていることが間違っていたり、教えたんだから金払えとすごまれたり。空港職員ではなくお目当ての航空会社の人に聞くのがいいんですけど、なかなか見つからなかったり、質問するにも長い列に並べと言われたりするし。はぁ。
それからそれから、空港自体の停電という経験もしましたよ。航空管制、チェックインくらいは予備電源でなんとか動かしたようでしたが、他は真っ暗。お店もキャッシャーは開かなくなるし決済もできなくなるしで、麻痺。私の乗った飛行機も2時間位くらい遅れて、しかも機長が「停電の影響で預け入れ荷物の仕分けができていません。当機にもお客様全員分の荷物が載っていないのは承知していますが、これ以上出発を遅らせることができませんので、離陸します。」とか言う。案の定、到着地で荷物は出てきませんでした。
しかしまあ、空の表玄関がこの調子で、よくワールドカップ(2010年)が開催できたものだと、違う意味で感心します。たぶんワールドカップの時は、国を挙げて治安維持と交通機関の秩序維持にがんばったんでしょうねぇ。
私自身は、15回くらいヨハネスバーグ空港を使っているはずですが、上記のように腕時計を抜かれたのが1回、空港の停電のせいで荷物が遅れたのが1回、普通に荷物が出てこなかった(2、3日後に出てきた)のが1回。百回は使っているはずの日本の国内線で荷物が出てこなかった記憶はないので、やっぱりトラブルの確率は高いですね。
これから南アフリカに行こうという人を脅かそうとかそういう気はないですし、すてきな観光地もたくさんある国です。それに、なんといってもヨハネスバーグ空港は南部アフリカのハブ空港です。上記の話も私が聞いた話ということで、ウワサの域は出ないです。しかし、何かと面倒の多い空港なのも確からしいので、利用される方は十分にお気をつけて、乗り継ぎの場合には十分に時間の余裕を持ってお出かけくださいませ。
まず、預け入れ荷物が紛失する、中身が盗られる件。空港職員がグルらしく、X線検査装置を使って金目の物が入っているスーツケースを特定しピンポイントで盗むという話です。私もやられましたよ。スーツケースを開けられて、お土産用の腕時計(安いヤツですけど)だけを抜かれました。腕時計の箱は残っていたのがまた腹が立つ。
空港職員がグル、というレベルではなく、シンジケートがあるとの話もあります。ビジネスとして一定の割合でスーツケースを盗っているのだとか。疑いのある空港職員を解雇しても、新規に雇用される職員がシンジケートにつながっているので改善しないらしい。
一度、イギリス系のコンサルト会社に空港での荷物のハンドリングの改善業務を委託したけれど、そのコンサル会社は途中で業務を降りたというウワサも聞きました。その理由は「命が危ないので。」だったそうです。
それで、乗客側の対抗策として、預け入れるスーツケースをプラスチックフィルムでぐるぐる巻きにすることが始められました。フィルムでぐるぐる巻きにすればスーツケースを開けにくくなる、開けようという気を失せさせるということで効果的なようです。が、あるときヨハネスバーグ空港を利用したら、前回までなかったフィルムぐるぐる巻き屋さんが空港内にたくさんできていてびっくりしましたよ。荷物の盗難、紛失に抜本的対策が打てていない中、とりあえずフィルムぐるぐる巻きサービスでお金を稼ごうというその魂胆がまた腹立たしい。。。
私の場合、ヨハネスバーグ空港を経由してジンバブエのハラレの空港で荷物を取り出す時に荷物が出てこず、出てきた時にはスーツケースに開けらた痕跡があって、そこで荷物のクレームをしたんですが、ハラレの空港の人が言うには、「荷物のことでクレームがつくのはほとんどヨハネスバーグからのフライトばっかり。ナイロビやアディスアベバからくるフライトではそんなにクレームない。」とのこと。やれやれです。
ヨハネスバーグ空港に着いたある乗客が、宿泊するホテルへの行き方を空港職員に聞いたら、その職員が悪党とつながっていて、行き先のホテルで待ち伏せされたという事件もあったと聞きましたねぇ。
それから、犯罪ではないんですけど、ヨハネスバーグ空港では自分のフライトのチェックインカウンターがどこか、非常に分かりにくいんです。電光表示板では2時間先くらいまでのフライトについてしかチェックインカウンターの番号が表示されておらず、それも表示板ごとに表示内容が違う。国際、地域、国内でなんとなく分けられているようにも見えるけど、徹底していない感じ。それで、広い空港をウロウロ探しまわることになるんですが、乗り継ぎ時間に余裕がない時はかなり焦ります。ときどき、空港職員やポーター風の人が教えてくれるんですが、言っていることが間違っていたり、教えたんだから金払えとすごまれたり。空港職員ではなくお目当ての航空会社の人に聞くのがいいんですけど、なかなか見つからなかったり、質問するにも長い列に並べと言われたりするし。はぁ。
それからそれから、空港自体の停電という経験もしましたよ。航空管制、チェックインくらいは予備電源でなんとか動かしたようでしたが、他は真っ暗。お店もキャッシャーは開かなくなるし決済もできなくなるしで、麻痺。私の乗った飛行機も2時間位くらい遅れて、しかも機長が「停電の影響で預け入れ荷物の仕分けができていません。当機にもお客様全員分の荷物が載っていないのは承知していますが、これ以上出発を遅らせることができませんので、離陸します。」とか言う。案の定、到着地で荷物は出てきませんでした。
しかしまあ、空の表玄関がこの調子で、よくワールドカップ(2010年)が開催できたものだと、違う意味で感心します。たぶんワールドカップの時は、国を挙げて治安維持と交通機関の秩序維持にがんばったんでしょうねぇ。
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私自身は、15回くらいヨハネスバーグ空港を使っているはずですが、上記のように腕時計を抜かれたのが1回、空港の停電のせいで荷物が遅れたのが1回、普通に荷物が出てこなかった(2、3日後に出てきた)のが1回。百回は使っているはずの日本の国内線で荷物が出てこなかった記憶はないので、やっぱりトラブルの確率は高いですね。
これから南アフリカに行こうという人を脅かそうとかそういう気はないですし、すてきな観光地もたくさんある国です。それに、なんといってもヨハネスバーグ空港は南部アフリカのハブ空港です。上記の話も私が聞いた話ということで、ウワサの域は出ないです。しかし、何かと面倒の多い空港なのも確からしいので、利用される方は十分にお気をつけて、乗り継ぎの場合には十分に時間の余裕を持ってお出かけくださいませ。
October 09, 2011
ディズニーランドは夢の国。
消費者の王国、日本は素晴らしい。手に取る商品はどれもきれいで完璧だし、サービスは快適だし、単純に素晴らしいと思う。その「行き届き」の水準は世界中どこにもないもので、すてきです。日本に帰るたびに、日本は素晴らしいとつぶやき、日本人でよかったと感謝しますよ。
* * *
だたね、その消費者の王国はみんなで作った王国であって、王国の王様気分を味わう人と、王国の僕(しもべ)は同じ人なんだよね。
ディズニーランドとは違う。あそこは、お客様が王様気分を味わい、ディズニーランドの従業員があなたに尽くしてくれる。でも、なんだか、消費者の王国とディズニーランドを混同している人がたくさんいる気がするんです。
すべての製品、すべてのサービスが、誰かによって完璧なものとして提供されているべき、国が、役所が、企業が、誰かが完璧なしっかり仕組みを動かしているべき。マスコミもそれに乗っかって、もっと国がしっかりしてなくてはいけない、もっと企業は責任を持たなければならないと書き立てます。そしていろんな不都合や理不尽を国の、役所の、企業の、自分じゃない誰かのせいにする。
それじゃもう、回らない時代になっていると思わない?王国は広がりすぎて、以前のようにすべてをお金で解決することはもうかなわないし、王国の進歩も早くて、誰かが「しっかりとした仕組み」を作るのをいちいち待ってはいられないし。
すっきりした結論があるわけじゃないけど、王国のお客様気分で生活し続けるのは無責任だし、それはまた今の時代を生き延びるにはリスクでもあるんじゃない? 僕らは王国の王様であって、同時に僕(しもべ)。ディズニーランドのお客様とは違うんだよね。
だからディズニーランドは、現実ではない、という意味でも「夢の国」なわけでさ。
October 02, 2011
サファリの宿。
ジンバブエで観光客が来るといえば世界三大瀑布のひとつ、ヴィクトリア・フォールズ。しかし、ジンバブエという国の評判が世界的にはすこぶる悪いので(2009年2月までで終わったハイパーインフレの話がまだ語られてるし)、観光旅行は南アフリカからヴィクトリア・フォールズに直接飛行機で入って、また飛行機で帰ってくるというパターンが多いようです。
しかし、ヴィクトリア・フォールズを含めてジンバブエには5か所のユネスコ世界遺産があって、先日はそのひとつ、マナ・プールズ国立公園に行ってきました。ザンビアとの国境、ザンベジ川沿いの動物保護区です。タンザニアのセレンゲティなんかに比べたら動物の密度は低いようでしたけど、それでもゾウやカバやバッファローの類は見飽きるほどいます。そして豊富な水量があるザンベジ川の水辺というのがきらきらした景色でよかったですよ。
ジンバブエの首都ハラレから車で6、7時間、ヴィクトリア・フォールズからも同じ位かかると思われ、しかも4WDじゃないとアクセスできないし、雨期になる11月〜3月は4WDでもアクセス不能になるので多くのロッジが閉鎖するし・・・、ということで気軽に行くことはできないですけど、その分、行けたらスペシャル感が倍増。
私が泊まったのは、ザンベジ川からはちょっと離れた森の中にあるロッジ。けもの道を自動車が通れるように広げただけの悪路を、「○○km北に進んだら左に折れてさらに西へ△△km・・・」みたいな地図とGPSを頼りに進むのですが、本当にこの先にロッジなんかあるのか?と不安になるばかりの道のりでした。後続車も対向車もなく、日本だとラリー大会にでも出場しない限りはまず必要とされることはない運転テクニックが要求される森の中の細い悪路を進むと、一番上の写真のようなロッジのレセプションが現れてほっとした、という次第でございます。
マナ・プールズの「マナ」は現地語で「4」という意味で、乾期には川の周辺の湿地が4つの池を残して干上がってしまうことから「4つの池」ということでマナ・プールズと呼ぶらしいのですが、そのロッジでは乾期には干上がる窪地にポンプで少し水を汲み上げ、その周りに宿泊用のテントを組んでいました。テントといっても、ウッドデッキの上に張った大型のもので、中には清潔なキングサイズ・ベッドにサファリっぽいテイストの調度。半屋外に作られたトイレは水洗で、シャワーもたっぷり温水が出るし、デザインは現地の自然素材を活かしたアフリカ風。どうしてこんな辺鄙な森の中にこんなもの用意できたんだろう?って不思議なくらいの贅沢さでしたよ。
で、ポンプで窪地に水を上げてるので、そこに動物が寄ってくるわけです。レセプション&ダイニングのエリアではソファーに座って冷えた南ア産白ワインを飲みながら、野生動物を眺められるという趣向。昼はゾウ、シカやサルの類ですが、夜になれば、ディナーを楽しみながらレパード、ライオン、ヤマアラシ、アナグマ、バッファローなどがやってくるのが見られました。
そのロッジで一晩に受け入れるゲストは12人が最大。私たちがそのロッジに泊まった最初の日本人客だとオーナー夫婦が言ってました。(ちなみにオーナー夫婦は元農場主の白人ジンバブエ人。ムガベ大統領統治下で行われた「土地改革」で農地をムガベ大統領与党支持の黒人に強奪されてしまったので、ロッジの経営を始めたそうです。)
* * *
実は日本国内の旅行経験はあんまりないんですけど、でも、日本国内にこういう土地の特色を活かした宿って少ないような気がするんですよね。観光地のホテル、旅館、民宿って、どこも同じような雰囲気でつまんない。料理もその土地で出す必然性のないマグロ刺身とかが出てくるし。少々アクセスが悪いところでもいいから、その土地の特色を活かして、ホスピタリティに溢れて、かつ外国人でも快適に泊まれるようにして、でもただ高級感だけを打ち出すのではなく一泊二食で2万円か3万円くらいで泊まれる、そんなのがもっと普及すればいいと思うんですがねぇ。そういうリトリートっていうかリゾートの文化が日本でも広がればいいと思うよ。
ん?、でも、これって、要は星のやの星野リゾートが打ち出して成功させてるコンセプトですね。既に気付いている人は気付いていらっしゃる。今どきネットで宿を探して予約するのが当たり前になってるし、ちゃんと情報をネットに載せておけば、外国からでも探し出してやってきてくれるお客さんはいるでしょう。マナ・プールズのロッジも、欧米からネットで予約してやってくる人が主なお客さんみたいだったし。
そういえば、数年前に京都を一人旅したとき、どう調べても宿がつまんないので、寺がやってる宿坊を訪ねて泊まったことを思い出した。で、それが本業でやってるはずのホテルや旅館よりずっと素敵な体験で、もうちょっと本業の方々にがんばっていただきたいと思ったわけです。
* * *
マナ・プールズの素敵なロッジは隠れ家っぽくて、みんなに知られてしまうのはちょっと惜しい気もするので、あえて名前は書かずに残しておきます。本気で行ってみようと思う人は、ネットで探してみてくださいな。
September 27, 2011
タイに行ってました。
バンコクとその郊外で滞在60時間位。
なんでなんでしょうね、アジアの町があんなに心地良いのは。アフリカでもそれなりに発展している町はあるんですが、バンコクのように、香港のように、シンガポールのように、東京のようには心地良くない。 もちろん私が日本人であって、アジアで育ってきたから、馴染みのある雰囲気が心地いいっていうのもあるんですけど、それだけではないと思うのです。
アジアの町が素敵な理由はいろいろ挙げられそうですが、私が指摘したいのは2点。
ひとつは「多様であること」。
そこにいる人も多様であれば、食べ物も多様。買い物するにしても選択肢が多い。何か手に入れようと思えば、高いもの、安いもの、かわいいもの、洒落たもの、といろんな種類がある。 摩天楼の大都会に、裏通りの庶民的な通りも隣接している。近代的なもの、雑多なもの、猥雑なもの、きれいなもの、いろんなものがある。その多様さが、アフリカにはない気がする。少なくとも今住んでいる町にはないし、以前住んだことがある中東の某都市にもなかった気がする。
ノーベル賞経済学受賞者のアマルティア・セン博士は、「豊かさとは選択肢が多い事である」と喝破してますが、まさにそうだなぁと、思うのです。
そしてもうひとつは「safeであること」。
日本語で言えば、治安が良い、安全である、ということなのですが、ただそれだけで片付けてしまえるレベルではなくて、気を張る必要がない、簡単にいえば「ゆるさ」がある。これは欧州の町にもない感覚だと思う。なんか食べながらそぞろ歩いてても問題ない町がある。外ですわってビール飲んでてもいい場所が広がっている。もちろん、犯罪はあるし、気をつけなくてはいけないところもあるんだけど、アフリカとはそのレベルが違う。その気楽さ、safetyが心地いい。
と、ぐだぐだ言ってますが、バンコク最高、でした。
September 04, 2011
「絶対安全」の空気と戦う。
以前、生きている以上各種のリスクは不可避なんだし、リスクと賢く付き合って行くしかないんだよ、っていう記事を書いたんですが(「絶対に」安全、なんてないのさ。)、相変わらずゼロ・リスクを求めるヒステリックな声が席巻している件。
なんて書くと、「安全厨」だのなんだのって批判を受けそうなのですが、幸い私のブログは読者が少ないのでまあいい。それでも、上記の記事は@sasakitoshinao氏にリツイートされたり、ガジェット通信経由でそこここに転載されたりしたので、それなりに読んだ人の反応を見ることがありました。意外と私の記事に賛意を示してくれる人が多くて安堵したんですが、やはり5件か10件にひとつくらい、ゼロ・リスクの主張に通じる議論にならない議論をふっかけるコメントもありましたよ。
さてそれで。
この「絶対安全」を求める空気なんですけど、「合理的に考えよう」「リスクと賢く付き合おう」と述べただけの人を「でも、危険性はゼロではないんですよね?それを認めるのは無責任じゃないですか?」「子どもたちの内部被曝を認めるんですか?ひどいですね。」というような言説で押しつぶそうとしているように感じます。正直、この空気が怖いです。マスコミはどちらかというとこの空気に乗っかった報道をするところが多いみたいですし(私が海外に住んでるので実態はよく分からないですけど、そう思われるような話はよく聞く)、今、政府や自治体や東京電力が「リスクと賢く付き合おう」とか言うと猛反発を受けそうな気もする。政治家が会見の時に使う異常にへりくだった敬語の表現なんか聞いてると特にそう思う。しかし、そうやってゼロ・リスク主義者に迎合していると、何にもできないばかりか、危うい方向にいっちゃう恐れだってあるなと思うのです。
* * *
第二次世界大戦の総括について「暴走した愚かな軍部が突っ走って起こしたもの。一般国民がそれに動員されてあの悲劇になった。」という単純な物語が作られ、東京裁判という劇場で「愚かな軍部」を罰して責任を押し付け、とりあえず人々は気持ちの折り合いをつけて戦後日本は出発したという側面があると思います。でも、本当はそうじゃなかっただろうと思うんですよ。戦争を経験していない私が言うのもアレですけど、きっと国民の間にも戦争を進める「空気」があったに違いない。そして「竹槍じゃ戦闘機には立ち向かえませんよね?」「精神論には限界がきてますよね?」という意見を封じ込めてしまったんだろうと思うのです。きっとそういう合理的な考えを持つ人もいた。おかしいと感じている人もいた。でも、「ほしがりません勝つまでは」っていう国防婦人会のノリに抗しきれなかったんだと思う。
なぜいきなりこういう話を書いているのかというと、ちょっと大げさかもしれないけど、今、ゼロ・リスク、特に放射線被曝に対してゼロ・リスクを訴えまくってる人たちの醸し出す空気って、この国防婦人会的な空気に似たものがあるような気がするんです。どちらも基本は善意から始まっているところも似てる。正義感にかられているところも似てる。そして、反論すれば「非国民」のラベルを貼られる恐怖がある。私が今の「絶対安全」を求める空気が怖いと感じるのも、この「非国民」のラベルを貼られる可能性を感じているからなんですよ、きっと。
* * *
正直、今書いているこの記事をネット上に公開するのもちょっと気が引けるところがあるのは本音です。やっぱりネット上でも叩かれるのは凹むから。自分がかわいいから。でも、後になって「あのとき、竹槍じゃ戦闘機には立ち向かえないと思っていたんですよ」と言っても虚しいだけのなで、今のうちに、「おかしいと思う」という意見表明だけはしておこうと思います。
特に放射性物質の生物濃縮が危惧される野生のキノコを食べるとか、福島第一原発に近く統計上有意なレベルで放射線被曝による障害が出るところに住むとか、そういうことはもちろん避けなければいけません。でも、「ただちに影響はない」レベル、影響があるかどうか分からないようなレベルで大騒ぎし「ゼロ」を求めることはやはりおかしい。それでは身動きが取れなくなるばかりか、誤った方向に進んでしまう危険だってある。見えない放射性物質を穢れ(けがれ)のように忌避するだけじゃ何にもならないと思うのです。
なんて書くと、「安全厨」だのなんだのって批判を受けそうなのですが、幸い私のブログは読者が少ないのでまあいい。それでも、上記の記事は@sasakitoshinao氏にリツイートされたり、ガジェット通信経由でそこここに転載されたりしたので、それなりに読んだ人の反応を見ることがありました。意外と私の記事に賛意を示してくれる人が多くて安堵したんですが、やはり5件か10件にひとつくらい、ゼロ・リスクの主張に通じる議論にならない議論をふっかけるコメントもありましたよ。
さてそれで。
この「絶対安全」を求める空気なんですけど、「合理的に考えよう」「リスクと賢く付き合おう」と述べただけの人を「でも、危険性はゼロではないんですよね?それを認めるのは無責任じゃないですか?」「子どもたちの内部被曝を認めるんですか?ひどいですね。」というような言説で押しつぶそうとしているように感じます。正直、この空気が怖いです。マスコミはどちらかというとこの空気に乗っかった報道をするところが多いみたいですし(私が海外に住んでるので実態はよく分からないですけど、そう思われるような話はよく聞く)、今、政府や自治体や東京電力が「リスクと賢く付き合おう」とか言うと猛反発を受けそうな気もする。政治家が会見の時に使う異常にへりくだった敬語の表現なんか聞いてると特にそう思う。しかし、そうやってゼロ・リスク主義者に迎合していると、何にもできないばかりか、危うい方向にいっちゃう恐れだってあるなと思うのです。
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第二次世界大戦の総括について「暴走した愚かな軍部が突っ走って起こしたもの。一般国民がそれに動員されてあの悲劇になった。」という単純な物語が作られ、東京裁判という劇場で「愚かな軍部」を罰して責任を押し付け、とりあえず人々は気持ちの折り合いをつけて戦後日本は出発したという側面があると思います。でも、本当はそうじゃなかっただろうと思うんですよ。戦争を経験していない私が言うのもアレですけど、きっと国民の間にも戦争を進める「空気」があったに違いない。そして「竹槍じゃ戦闘機には立ち向かえませんよね?」「精神論には限界がきてますよね?」という意見を封じ込めてしまったんだろうと思うのです。きっとそういう合理的な考えを持つ人もいた。おかしいと感じている人もいた。でも、「ほしがりません勝つまでは」っていう国防婦人会のノリに抗しきれなかったんだと思う。
なぜいきなりこういう話を書いているのかというと、ちょっと大げさかもしれないけど、今、ゼロ・リスク、特に放射線被曝に対してゼロ・リスクを訴えまくってる人たちの醸し出す空気って、この国防婦人会的な空気に似たものがあるような気がするんです。どちらも基本は善意から始まっているところも似てる。正義感にかられているところも似てる。そして、反論すれば「非国民」のラベルを貼られる恐怖がある。私が今の「絶対安全」を求める空気が怖いと感じるのも、この「非国民」のラベルを貼られる可能性を感じているからなんですよ、きっと。
* * *
正直、今書いているこの記事をネット上に公開するのもちょっと気が引けるところがあるのは本音です。やっぱりネット上でも叩かれるのは凹むから。自分がかわいいから。でも、後になって「あのとき、竹槍じゃ戦闘機には立ち向かえないと思っていたんですよ」と言っても虚しいだけのなで、今のうちに、「おかしいと思う」という意見表明だけはしておこうと思います。
特に放射性物質の生物濃縮が危惧される野生のキノコを食べるとか、福島第一原発に近く統計上有意なレベルで放射線被曝による障害が出るところに住むとか、そういうことはもちろん避けなければいけません。でも、「ただちに影響はない」レベル、影響があるかどうか分からないようなレベルで大騒ぎし「ゼロ」を求めることはやはりおかしい。それでは身動きが取れなくなるばかりか、誤った方向に進んでしまう危険だってある。見えない放射性物質を穢れ(けがれ)のように忌避するだけじゃ何にもならないと思うのです。
August 28, 2011
「社会が悪い」か「自己責任」か。
非正規雇用が増えたり、幼児虐待事件が起きたり、あるいは無差別傷害殺人事件が発生したりすると、テレビに出てくるコメンテーターとかいう識者然とした人たちが、「国が悪い、社会が悪い」という話をしたり顔でおっしゃる。他方でネット上のコメントを見てると、当事者を嗤い、嘲り、「自己責任」だと叩く声が溢れてる。
どちらの両極端にも違和感があるんですよね。
世界や社会、政治経済のトレンドは最終的には個々人が生活、人生を生きていく上での出来事に織り込まれて表出するわけで、たいていの場合、自分自身に起きた事件は、自己の事件であり社会の事件であるという両義性を持っているのだと思うんです。
非正規雇用だの雇い止めだので先行きが見えない、という声に対しては、「正社員になればいいいだろう」「お前の努力、能力が足りないからだ」というありきたりな批判では済まないことはもう、共通の理解だと思います。社会、政治経済が非正規雇用を要請し、すでに労働者の3分の1なんていう数が非正規雇用になってる。だれが正社員でだれが非正規雇用になり、だれが自営業者でだれが資本家になるか、というのは個人の資質や努力、住んでいるところ、育った家庭環境などに影響され、非正規雇用に甘んじているのは自己責任だと言える部分もありますが、他方、社会が非正規雇用という形態を要請し、労働者の一定の割合が非正規雇用を選ぶように仕向けられているというのもまたそのとおりで、「私が非正規雇用である」というのは私の事件であり、社会の事件です。
幼児虐待事件のニュースを見ると、ホントに凹むし、虐待した親は獣以下だと憤りを覚えます。マスコミもそういう風に扇情的に報じる。しかし、虐待した親を罵り厳罰で対処する、すなわちその親の「自己責任」で片付けてしまうだけよいのかという疑問も残ります。その虐待が起きた家庭の置かれた状況はどのようなものだったのか。救いがなく助けを求めることもできない状況、暴走を止めることもできなかった状況とはどういうものだったのか。そういう状況を生んでしまった社会環境とはどうだったのか。「たとえどんなに厳しい状況であったとしても、子どもをあんな風に虐待することはあり得ない。」そう考える人も多いでしょうし、私もそのひとりですが、中には、それが稀だとはいえ、ある社会状況の下では幼児虐待事件に至ってしまう家庭もあるわけです。非正規雇用のように労働者の3分の1とかいう高い確率ではないにしても、わずかな確率ながら起きてしまう。幼児虐待事件を呼び込むのはその親の資質や経済状況など「自己責任」の部分も大きいとはいえ、社会の事件であることも否定できないと思うのです。
「なんとなくむしゃくしゃして」「やり場のない怒りで」引き起こされる無差別殺傷事件は、幼児虐待事件以上に発生件数が少ない事件だし、その動機と行為を正当化するのは難しい。同情の余地も少ない。でも、その犯人の性格や資質だけに発生原因のすべてが還元できるかというと、そうではないと感じる人も多いのではないでしょうか。だからといって社会が悪い、国が悪いと一足飛びには行かないけどね。大方の人はそんな事件は一生起こさないし、起こそうとも思わないわけですし。しかし、陳腐な言い方をすれば、社会の歪みが一番弱いところで破断する、という側面があるのも確かだろうと思うのです。「一番弱いところ」になったのは自己の責任だし、「破断する」のも自己の責任でしょうが、社会の緊張がその犯人のところにも蓄積してたのは事実でしょう。
幼児虐待とか無差別殺傷とかは感情が入りすぎるので、たとえば交通事故について考えてみる。
交通事故に遭うのは大方自己責任だと言われてしまう。たしかに、前方不注意だの脇見運転だのっていう自分の心がけ次第で防げる事故も多いと思う。でも、年に5,000人くらい交通事故死しているのは日本が車に依存した社会であるからだ、とも言えるのではないかと。そして、現に交通ルールを改定したり、警察が取り締まりを強化したり、飲酒運転撲滅の機運が盛り上がったりしたことで、交通事故死は減ったんです。つまり、国、社会の側が対応した事で交通事故死は減った。個別の交通事故は自己責任ではあるんだけど、一歩引いて統計的に見てみると、交通事故は社会的事件でもあるという証左ですよね。今の日本社会は、事故を起こしやすい人(と、運の悪い人)5,000人が交通事故で命を落とす「社会」。その5,000人に入るか入らないかの違いは自己責任に還元される部分も多いけど、そもそも車「社会」が原因である面も否定できない。
と、だらだら書いてますが、特にこの状況に対して処方箋を思いついたわけではないです。ただ、「国が悪い、社会が悪い」か「自己責任」かどちらかというのは命題の立て方がおかしくて、現実には政治経済や社会の影響は個人が遭遇する個人的な事件に織り込まれて表出するもんだよね、という話です。そして、事件を個別的に見れば「自己責任」が問われるものであっても、統計的に見れば政治経済や社会の影響があるのが分かる。
鎖を引っ張って切れたら、「鎖を引っ張ったのが悪い」のか「この輪のところが弱かったのが悪い」のか。答えは「どちらも」なのではないかと、考えてみればごく当たり前のことを思うのです。
どちらの両極端にも違和感があるんですよね。
世界や社会、政治経済のトレンドは最終的には個々人が生活、人生を生きていく上での出来事に織り込まれて表出するわけで、たいていの場合、自分自身に起きた事件は、自己の事件であり社会の事件であるという両義性を持っているのだと思うんです。
非正規雇用だの雇い止めだので先行きが見えない、という声に対しては、「正社員になればいいいだろう」「お前の努力、能力が足りないからだ」というありきたりな批判では済まないことはもう、共通の理解だと思います。社会、政治経済が非正規雇用を要請し、すでに労働者の3分の1なんていう数が非正規雇用になってる。だれが正社員でだれが非正規雇用になり、だれが自営業者でだれが資本家になるか、というのは個人の資質や努力、住んでいるところ、育った家庭環境などに影響され、非正規雇用に甘んじているのは自己責任だと言える部分もありますが、他方、社会が非正規雇用という形態を要請し、労働者の一定の割合が非正規雇用を選ぶように仕向けられているというのもまたそのとおりで、「私が非正規雇用である」というのは私の事件であり、社会の事件です。
幼児虐待事件のニュースを見ると、ホントに凹むし、虐待した親は獣以下だと憤りを覚えます。マスコミもそういう風に扇情的に報じる。しかし、虐待した親を罵り厳罰で対処する、すなわちその親の「自己責任」で片付けてしまうだけよいのかという疑問も残ります。その虐待が起きた家庭の置かれた状況はどのようなものだったのか。救いがなく助けを求めることもできない状況、暴走を止めることもできなかった状況とはどういうものだったのか。そういう状況を生んでしまった社会環境とはどうだったのか。「たとえどんなに厳しい状況であったとしても、子どもをあんな風に虐待することはあり得ない。」そう考える人も多いでしょうし、私もそのひとりですが、中には、それが稀だとはいえ、ある社会状況の下では幼児虐待事件に至ってしまう家庭もあるわけです。非正規雇用のように労働者の3分の1とかいう高い確率ではないにしても、わずかな確率ながら起きてしまう。幼児虐待事件を呼び込むのはその親の資質や経済状況など「自己責任」の部分も大きいとはいえ、社会の事件であることも否定できないと思うのです。
「なんとなくむしゃくしゃして」「やり場のない怒りで」引き起こされる無差別殺傷事件は、幼児虐待事件以上に発生件数が少ない事件だし、その動機と行為を正当化するのは難しい。同情の余地も少ない。でも、その犯人の性格や資質だけに発生原因のすべてが還元できるかというと、そうではないと感じる人も多いのではないでしょうか。だからといって社会が悪い、国が悪いと一足飛びには行かないけどね。大方の人はそんな事件は一生起こさないし、起こそうとも思わないわけですし。しかし、陳腐な言い方をすれば、社会の歪みが一番弱いところで破断する、という側面があるのも確かだろうと思うのです。「一番弱いところ」になったのは自己の責任だし、「破断する」のも自己の責任でしょうが、社会の緊張がその犯人のところにも蓄積してたのは事実でしょう。
幼児虐待とか無差別殺傷とかは感情が入りすぎるので、たとえば交通事故について考えてみる。
交通事故に遭うのは大方自己責任だと言われてしまう。たしかに、前方不注意だの脇見運転だのっていう自分の心がけ次第で防げる事故も多いと思う。でも、年に5,000人くらい交通事故死しているのは日本が車に依存した社会であるからだ、とも言えるのではないかと。そして、現に交通ルールを改定したり、警察が取り締まりを強化したり、飲酒運転撲滅の機運が盛り上がったりしたことで、交通事故死は減ったんです。つまり、国、社会の側が対応した事で交通事故死は減った。個別の交通事故は自己責任ではあるんだけど、一歩引いて統計的に見てみると、交通事故は社会的事件でもあるという証左ですよね。今の日本社会は、事故を起こしやすい人(と、運の悪い人)5,000人が交通事故で命を落とす「社会」。その5,000人に入るか入らないかの違いは自己責任に還元される部分も多いけど、そもそも車「社会」が原因である面も否定できない。
と、だらだら書いてますが、特にこの状況に対して処方箋を思いついたわけではないです。ただ、「国が悪い、社会が悪い」か「自己責任」かどちらかというのは命題の立て方がおかしくて、現実には政治経済や社会の影響は個人が遭遇する個人的な事件に織り込まれて表出するもんだよね、という話です。そして、事件を個別的に見れば「自己責任」が問われるものであっても、統計的に見れば政治経済や社会の影響があるのが分かる。
鎖を引っ張って切れたら、「鎖を引っ張ったのが悪い」のか「この輪のところが弱かったのが悪い」のか。答えは「どちらも」なのではないかと、考えてみればごく当たり前のことを思うのです。
August 19, 2011
祖父の記憶。
前回、実家に帰省した時のこと。
自宅にタクシーを呼んで空港に向ったんですが、初老のタクシーの運転手さんが、
「○○××さんのご家族ですよ・・・ね?」
と、おっしゃる。○○××は私の父方の祖父の名前だ。電話でタクシーを呼んだとき姓は名乗っているので、それで気になって声をかけたらしい。
「あ、そうです。。」
その祖父は、もうすぐ40になろうという私が幼稚園の年長組だったときに他界している。35年くらい昔の話だ。
「あー、いやー、やっぱりそうでしたか。昔××さんは△△の仕事をしてらしたでしょう?あのとき私らはよく●●に飯に連れて行ってもらってですねぇ・・・。」
当時の仕事のこと、同僚のこと、どんな話をしたか、それからうちの祖父が仕事を変わった事、運転しながら懐かしそうに話をされる。タクシーには私の母も一緒に乗っていたんだけど、母は部分的には運転手さんの話に覚えがあるらしい。
私には祖父の思い出はほとんどない。顔も覚えていない。思い出せるのは、今、私が実家にいるときに使っている2階の四畳半の部屋でいつも寝ていた姿、寝たばこをしていた姿、そしてなぜか祖父が乗っていた白い日産サニーの後部の映像。その後は病院で臨終の際に酸素マスクをつけた姿を病室の外からちょっと覗いたこと、葬式になっても「死」の意味が実感できず親戚のお兄ちゃんとケタケタ遊んでいた事、斎場ではなく自宅で葬式をして父が見慣れない黒い礼服で挨拶していた事、それくらいなのです。
不思議な気分でした。もう他界して35年も経った人なんだけど、家族でもない、今はもう何の接点もなくなってしまった人の記憶の中に生きていたんだと。孫の私も知らない姿がこの人の記憶の中に生きているのかと。
あの人はどんな人生を送ったのだろうか。戦争には行ったのだろうか。あの戦争をどうやって乗り切ったのだろうか。
そしてまた30年も経てば、きっとそのタクシー運転手も他界し、私もいずれ死を迎え、祖父の記憶はこの世から完全に消えてしまうのか。
終戦記念日は過ぎてしまいましたが、今年の8月15日にはそんなことを思い出していました。
次に帰省した時には、父に祖父のことを少し聞いてみよう。なんかだか変に照れ臭いけど。
自宅にタクシーを呼んで空港に向ったんですが、初老のタクシーの運転手さんが、
「○○××さんのご家族ですよ・・・ね?」
と、おっしゃる。○○××は私の父方の祖父の名前だ。電話でタクシーを呼んだとき姓は名乗っているので、それで気になって声をかけたらしい。
「あ、そうです。。」
その祖父は、もうすぐ40になろうという私が幼稚園の年長組だったときに他界している。35年くらい昔の話だ。
「あー、いやー、やっぱりそうでしたか。昔××さんは△△の仕事をしてらしたでしょう?あのとき私らはよく●●に飯に連れて行ってもらってですねぇ・・・。」
当時の仕事のこと、同僚のこと、どんな話をしたか、それからうちの祖父が仕事を変わった事、運転しながら懐かしそうに話をされる。タクシーには私の母も一緒に乗っていたんだけど、母は部分的には運転手さんの話に覚えがあるらしい。
私には祖父の思い出はほとんどない。顔も覚えていない。思い出せるのは、今、私が実家にいるときに使っている2階の四畳半の部屋でいつも寝ていた姿、寝たばこをしていた姿、そしてなぜか祖父が乗っていた白い日産サニーの後部の映像。その後は病院で臨終の際に酸素マスクをつけた姿を病室の外からちょっと覗いたこと、葬式になっても「死」の意味が実感できず親戚のお兄ちゃんとケタケタ遊んでいた事、斎場ではなく自宅で葬式をして父が見慣れない黒い礼服で挨拶していた事、それくらいなのです。
不思議な気分でした。もう他界して35年も経った人なんだけど、家族でもない、今はもう何の接点もなくなってしまった人の記憶の中に生きていたんだと。孫の私も知らない姿がこの人の記憶の中に生きているのかと。
あの人はどんな人生を送ったのだろうか。戦争には行ったのだろうか。あの戦争をどうやって乗り切ったのだろうか。
そしてまた30年も経てば、きっとそのタクシー運転手も他界し、私もいずれ死を迎え、祖父の記憶はこの世から完全に消えてしまうのか。
終戦記念日は過ぎてしまいましたが、今年の8月15日にはそんなことを思い出していました。
次に帰省した時には、父に祖父のことを少し聞いてみよう。なんかだか変に照れ臭いけど。
August 14, 2011
ナミビア。
ナミビアに行ってました。純粋に観光で。
南アフリカの北西、大西洋に面した国です。ドイツ領南西アフリカから南アフリカによる統治を経て、1990年に独立した若い国です。国名の由来は国土の相当部分を占めるナミブ沙漠から。そしてその国土の面積は日本の2倍以上あるのに、人口は200万人強しかいないという人口密度の低さも興味を惹きます。
ドイツ領だった時代にも南アフリカが飛び地として統治していたWalvis Bayの空港から、大西洋に面したこじんまりとした町Swakopmundを経て2時間ほど北上すると、Cape Crossに到着します。なんとかっていうポルトガル人だかが最初に到着したところらしいのですが、そんな話も圧倒してしまうのはアザラシのコロニー。
死んでるように見えますが、生きてます。
さらに北上すると、Skelton Coast(骸骨海岸)と呼ばれる海岸線のドライブになります。船の座礁が多いことで有名な海岸で、途中には座礁したばかりの船もありましたが、時間が経つとこんな風に。
骸骨海岸、っていう名前も分かる。骨が落ちてました。
で、レンタカーがドロドロ。
海岸を離れ内陸側に進み、ナミブ沙漠観光の拠点の宿に。宿からの景色。
そして、Namib-Naukluft国立公園の入口から近いところにある砂丘、「Dune 45」。入口から45kmのところにあるからそう呼ばれているそうです。風が強い日でしたけど、みんな登ってますねぇ。
途中、ダチョウやガゼル、オリックスもいる。写真はオリックス。
そして、アプリコット色の砂丘。
さらに歩いて行くと、300年前に干上がったといわれている湖の跡。Deadvlei。
自然の景観というよりは、なんかのデザインのような景色です。
枯れ木は湖よりもさらに古く、600年〜900年前のものと考えられているそうです。
この地の砂は鉄分を始めミネラルを多く含むせいで重く、砂丘の場所があまり変わらないそうです。
こっちの湖にはまだ水がある。
砂丘に向う途中の風景。まったくもって何もないっていうか、わけが分からない感じ。
植物の生えているところもある。これは通称「ostrich cabbage」。「ダチョウのキャベツ」。
ヘリコプターで行けるのは、沙漠のほんの入口のところまで。それでも壮大な景観です。
地表見えるぶつぶつの模様は「fairy circle(妖精の輪)」。そこだけ草が生えない。地中に草の生育を阻むシロアリがいるとも言われているけど、その「妖精の輪」の土を取って来て虫を除いてから鉢植えの土にしても植物が枯れるそうで、本当のところはよく分からないとガイドさんは言ってました。
宿泊中の宿を上空から。
草原に沈む夕日。
ナミビア。植民地や信託統治領としての歴史や、少数民族の歴史、現在の政治経済など興味深い話もいろいろあるんですが、とりあえずはこの圧倒的な景観。無粋なことは今は語りますまい。
広い国なので私たちが見たのはほんの一部だし、写真をいくらアップしてもやっぱり実際に見ていただかないとこの壮大さは分かりづらいですよ。日本からはバンコク、シンガポール、香港、ドバイなどを経由してまず南アフリカに入ってからさらに飛行機で2時間ほど。さらに車で400km〜500kmは走らないとナミブ沙漠の入口のSossusvleiまで到達しないので簡単じゃないですが、行ってみる価値はあると思いますよ。
おまけ。
記念撮影するため、道路脇に打ってあった杭の上にカメラを載せようとがんばっている私。
July 31, 2011
植民地主義の清算。
現実はもっと複雑でこのブログで書き切れるものでもなく、マジメに書いたら論文か本にしなきゃいけないような内容なんですけど、手短に要点だけメモっておこうと思います。アフリカに住む白人の話。特に南部アフリカの話です。
* * *
南部アフリカに住む白人の住民が言う。「先祖代々、300年もこの地に住んでいるのだから、白人の現地人として認められてしかるべきだ。」一方の黒人住民はこう言う。「300年住んでいるといっても、植民地主義者の末裔には変わりない。我らの土地から搾取したものを返せ。」
そして平行線のまま議論が続く。
白人がアフリカ大陸に進出し始めたのは15世紀。当初は所有権のはっきりしない土地に入植し、開拓していったのだと思います。そしてやがて農業や鉱業の果実を得ることになりました。労働力として黒人を安く使い、富を蓄えていったのです。黒人側からすれば、搾取されたとも見えるでしょう。
他方、白人の側からすれば、なんら活用もされてない荒れ地に綿々と投資を続け、勤勉に働き続けた成果だと主張したいでしょう。また、白人が入植したおかげで教育や衛生が持ち込まれ、黒人の死亡率が劇的に低下し黒人の人口爆発がおきたのも事実であれば、それまで新石器時代と大差ない生活をしていた黒人に豊かさのお裾分けがあったのも事実です。
極々単純に考えれば、この黒人と白人の係争を処理する方法として2つのパターンが考えられます。
ひとつは、白人側が黒人側に土地を返す方法。ただし、入植した白人に対して、彼らが投資した物資や労働力に対する補償が支払われる必要はあるでしょう。そしてもうひとつはその逆で、白人側が土地所有を続けることを認めるかわりに、白人側が黒人側に土地使用、現地資源の利用の対価を支払うやり方。原理的にはこの2つが解決策としてありうると考えられます。
ところが、現実はそうは簡単にいきません。まず、白人側にも黒人側にも合意に達した場合に支払うべき補償や対価を融通できるだけの資力がない場合が多いです。「そうは言っても払えない」ということですよ。あるいは、金の問題だけでなく人材の問題もある。たとえば白人が黒人にその事業を譲るとして、黒人にそのノウハウがあるのか。ノウハウのある人はどこにいるのか。仮にいるとして、どうやって事業を引き継ぐ黒人を選ぶのか。そこには利権が生じ、腐敗の入り込む隙がいくらでもあります。
また、植民地主義の精算とはいえ、すでに21世紀のグローバル経済の時代です。ただでさえ貧窮している国が多いアフリカにおいて、白人と黒人の間のうかつな取引によって動いている経済を阻害してしまっては問題です。現に生きている経済を一度止めてから清算する、なんてことはできないのです。経済に悪影響を与えないようにしないと、結局みんなで貧しくなってしまう危険がある。
また、個別にみれば千差万別な事情があります。たとえば、最初にアフリカに入植した白人は土地を勝手に収奪したのかもしれませんが、その後に土地の売買契約や賃貸借契約を結んで入植した人たちは善意の第三者であって、彼らに植民地政策の清算の負担を強いるのはおかしい、という見方もできます。
1980年、南部アフリカのジンバブエ共和国の独立に際しては、宗主国イギリスとの間で長い協議が行われ、原則的にはジンバブエ(当時の南ローデシア)に住む白人イギリス人が黒人にその土地を渡す場合にはイギリス本国が白人農場主に補償を行うという合意が交わされています。植民地政策を推進した政府が責任を取る、ということでしょう。
ところが、経済政策に暗いジンバブエの黒人政権は、ムガベ大統領につらなる元軍人や青年たちの歓心を得るため、こともあろうか事実上彼らに白人所有の農場を自由に強奪すること容認し、黒人たちが白人農場主の家を焼き討ちするところにまで至ってしまいました。もちろん、農地を強奪したところで彼らに農場経営のノウハウや資力がある訳もでなく、機材や残されていた収穫物をぶんどった後は放置された農地も多くて、それまでは農場や関連産業での仕事があった黒人たちまで仕事を失い、経済破綻へと一直線に進んでしまったのです。もちろんイギリスはそんな無茶苦茶な「土地改革」に補償を支払うはずもありません。結局、混乱の中で巨富をかすめ取ったごく一部の特権階級を除いては、みんな貧しくなってしまったというのが今のジンバブエです。
ジンバブエよりもはるかに経済規模の大きい南アフリカはこのジンバブエのバカさ加減を反面教師としているのでしょう。また、南アフリカは、多国籍企業も進出していれば、植民地主義者に抑圧されたという意味では黒人と大差ないインド系の住民や企業も多いはずです。植民地主義を清算する、といったって、だれが「植民者」でだれが「現地人」なのか、ということさえ定義が難しい状況でしょう。それでも、やはり経済活動への黒人の進出は支援すべきというコンセンサスはあり、黒人の経済的権利拡大政策(Black Economic Empowerment: BEE)が進められています。
他方、ジンバブエは農業を食い尽くしてしまったので、今度は製造業や鉱業をターゲットにして外資系企業に所有権の51%を黒人に譲渡することを義務付ける法律、いわゆる「現地化法」を制定してしまいました。白人農場主の土地収奪で甘い汁を吸った政治家、特権階級の人たちが、「夢をもう一度」とばかりに画策している面もあるのですが、さすがにこの無謀な政策に反対する勢力もあり、本格施行がずるずる延びているところです。
* * *
アフリカとヨーロッパの長い歴史的関わりの中でおきた植民地支配。南部アフリカにおけるヨーロッパ系住民の生活を見ていると、植民地支配は歴史の教科書の中の出来事として終わった事ではないことを実感しますよ。現代の南部アフリカは当然ながら歴史の延長線上あって、今日の経済政策も歴史の経緯を踏まえた上で立案していく必要があり、植民地支配は今もその残滓で頭を悩ませる要因になっているんですよね。
(この記事は主に南部アフリカ、東アフリカを念頭に書いています。西アフリカになると、植民地時代からの白人住民が非常に少ない上、奴隷貿易の話が避けて通れないことになって、様相が違ってきます。また、北アフリカはアラブ世界、地中海文化圏になってきますよね。)
* * *
南部アフリカに住む白人の住民が言う。「先祖代々、300年もこの地に住んでいるのだから、白人の現地人として認められてしかるべきだ。」一方の黒人住民はこう言う。「300年住んでいるといっても、植民地主義者の末裔には変わりない。我らの土地から搾取したものを返せ。」
そして平行線のまま議論が続く。
白人がアフリカ大陸に進出し始めたのは15世紀。当初は所有権のはっきりしない土地に入植し、開拓していったのだと思います。そしてやがて農業や鉱業の果実を得ることになりました。労働力として黒人を安く使い、富を蓄えていったのです。黒人側からすれば、搾取されたとも見えるでしょう。
他方、白人の側からすれば、なんら活用もされてない荒れ地に綿々と投資を続け、勤勉に働き続けた成果だと主張したいでしょう。また、白人が入植したおかげで教育や衛生が持ち込まれ、黒人の死亡率が劇的に低下し黒人の人口爆発がおきたのも事実であれば、それまで新石器時代と大差ない生活をしていた黒人に豊かさのお裾分けがあったのも事実です。
極々単純に考えれば、この黒人と白人の係争を処理する方法として2つのパターンが考えられます。
ひとつは、白人側が黒人側に土地を返す方法。ただし、入植した白人に対して、彼らが投資した物資や労働力に対する補償が支払われる必要はあるでしょう。そしてもうひとつはその逆で、白人側が土地所有を続けることを認めるかわりに、白人側が黒人側に土地使用、現地資源の利用の対価を支払うやり方。原理的にはこの2つが解決策としてありうると考えられます。
ところが、現実はそうは簡単にいきません。まず、白人側にも黒人側にも合意に達した場合に支払うべき補償や対価を融通できるだけの資力がない場合が多いです。「そうは言っても払えない」ということですよ。あるいは、金の問題だけでなく人材の問題もある。たとえば白人が黒人にその事業を譲るとして、黒人にそのノウハウがあるのか。ノウハウのある人はどこにいるのか。仮にいるとして、どうやって事業を引き継ぐ黒人を選ぶのか。そこには利権が生じ、腐敗の入り込む隙がいくらでもあります。
また、植民地主義の精算とはいえ、すでに21世紀のグローバル経済の時代です。ただでさえ貧窮している国が多いアフリカにおいて、白人と黒人の間のうかつな取引によって動いている経済を阻害してしまっては問題です。現に生きている経済を一度止めてから清算する、なんてことはできないのです。経済に悪影響を与えないようにしないと、結局みんなで貧しくなってしまう危険がある。
また、個別にみれば千差万別な事情があります。たとえば、最初にアフリカに入植した白人は土地を勝手に収奪したのかもしれませんが、その後に土地の売買契約や賃貸借契約を結んで入植した人たちは善意の第三者であって、彼らに植民地政策の清算の負担を強いるのはおかしい、という見方もできます。
1980年、南部アフリカのジンバブエ共和国の独立に際しては、宗主国イギリスとの間で長い協議が行われ、原則的にはジンバブエ(当時の南ローデシア)に住む白人イギリス人が黒人にその土地を渡す場合にはイギリス本国が白人農場主に補償を行うという合意が交わされています。植民地政策を推進した政府が責任を取る、ということでしょう。
ところが、経済政策に暗いジンバブエの黒人政権は、ムガベ大統領につらなる元軍人や青年たちの歓心を得るため、こともあろうか事実上彼らに白人所有の農場を自由に強奪すること容認し、黒人たちが白人農場主の家を焼き討ちするところにまで至ってしまいました。もちろん、農地を強奪したところで彼らに農場経営のノウハウや資力がある訳もでなく、機材や残されていた収穫物をぶんどった後は放置された農地も多くて、それまでは農場や関連産業での仕事があった黒人たちまで仕事を失い、経済破綻へと一直線に進んでしまったのです。もちろんイギリスはそんな無茶苦茶な「土地改革」に補償を支払うはずもありません。結局、混乱の中で巨富をかすめ取ったごく一部の特権階級を除いては、みんな貧しくなってしまったというのが今のジンバブエです。
ジンバブエよりもはるかに経済規模の大きい南アフリカはこのジンバブエのバカさ加減を反面教師としているのでしょう。また、南アフリカは、多国籍企業も進出していれば、植民地主義者に抑圧されたという意味では黒人と大差ないインド系の住民や企業も多いはずです。植民地主義を清算する、といったって、だれが「植民者」でだれが「現地人」なのか、ということさえ定義が難しい状況でしょう。それでも、やはり経済活動への黒人の進出は支援すべきというコンセンサスはあり、黒人の経済的権利拡大政策(Black Economic Empowerment: BEE)が進められています。
他方、ジンバブエは農業を食い尽くしてしまったので、今度は製造業や鉱業をターゲットにして外資系企業に所有権の51%を黒人に譲渡することを義務付ける法律、いわゆる「現地化法」を制定してしまいました。白人農場主の土地収奪で甘い汁を吸った政治家、特権階級の人たちが、「夢をもう一度」とばかりに画策している面もあるのですが、さすがにこの無謀な政策に反対する勢力もあり、本格施行がずるずる延びているところです。
* * *
アフリカとヨーロッパの長い歴史的関わりの中でおきた植民地支配。南部アフリカにおけるヨーロッパ系住民の生活を見ていると、植民地支配は歴史の教科書の中の出来事として終わった事ではないことを実感しますよ。現代の南部アフリカは当然ながら歴史の延長線上あって、今日の経済政策も歴史の経緯を踏まえた上で立案していく必要があり、植民地支配は今もその残滓で頭を悩ませる要因になっているんですよね。
(この記事は主に南部アフリカ、東アフリカを念頭に書いています。西アフリカになると、植民地時代からの白人住民が非常に少ない上、奴隷貿易の話が避けて通れないことになって、様相が違ってきます。また、北アフリカはアラブ世界、地中海文化圏になってきますよね。)
July 04, 2011
デモに参加する?
このところずっと海外に住んでいるので、参加しようと思っても参加できないんだけど、たぶん日本にいても参加しないし、実際日本にいた時にも参加したことがないです。というのは「デモ」の話。
参加しない理由はいろいろある。デモの種類にもよるけど、なんかどっかの労組か政党が主導、動員している風で、そういうのに縁が薄いっていうこともあるし、デモしている人たちの風体がどうも異質で、たとえ主張に一理あるなと思っても、「あの人たちと一緒にはされたくない」って気分のときもある。
しかしまあ、デモに参加する気にならない一番大きな理由は、世の中そんなに明確に「反対」って言えることってあんまりないってことですよ。原発だって原発依存は下げていく必要があると思うけど、今「反対」って叫んでもそれって「今すぐ止めろ」に聞こえるし、そういう「反対」には共感できないし。
「賛成」と「反対」の間に無数の考えがあって、現実的に取りうる策も「賛成」と「反対」の間にあることが多くて、反対反対って叫んでも何の解決にならないこと多いし。問題は問題で、だからどうするのか、と考えなくちゃいけないのに、反対反対って叫ぶばっかりでどうするの?って思ってしまう。
だから私は、デモに参加しようと思ったことがないのです。で、もし私がデモに参加していたら、それは余程の事態なので気をつけた方がいいですよ。
参加しない理由はいろいろある。デモの種類にもよるけど、なんかどっかの労組か政党が主導、動員している風で、そういうのに縁が薄いっていうこともあるし、デモしている人たちの風体がどうも異質で、たとえ主張に一理あるなと思っても、「あの人たちと一緒にはされたくない」って気分のときもある。
しかしまあ、デモに参加する気にならない一番大きな理由は、世の中そんなに明確に「反対」って言えることってあんまりないってことですよ。原発だって原発依存は下げていく必要があると思うけど、今「反対」って叫んでもそれって「今すぐ止めろ」に聞こえるし、そういう「反対」には共感できないし。
「賛成」と「反対」の間に無数の考えがあって、現実的に取りうる策も「賛成」と「反対」の間にあることが多くて、反対反対って叫んでも何の解決にならないこと多いし。問題は問題で、だからどうするのか、と考えなくちゃいけないのに、反対反対って叫ぶばっかりでどうするの?って思ってしまう。
だから私は、デモに参加しようと思ったことがないのです。で、もし私がデモに参加していたら、それは余程の事態なので気をつけた方がいいですよ。
July 03, 2011
クリケット観戦記。

言っておきますけど、私はクリケットのルールはまったく知りません。あの、バッターのところにある3本の棒はなに?って聞いてるレベルです。それが、クリケット・コカコーラ杯のオーストラリア対ジンバブエ戦が日曜だから見においでって誘われて、成り行き上、断れなくなって見に行ってきました。
試合は9時からという話で、クリケットって試合が長いという話だけは知っていたので、10時半頃にスタジアムに。
まあ、試合は始まってるんですけど、人は、まだまばら。これから三々五々集まって来るみたい。会場で待ち合わせた知人がルールを解説してくれるんですけど、やっぱりそんなすぐにはよく分からない。で、ビール飲み始める。
昼近くになると、だんだん人が増えてきて、みんなで持ち寄ったお弁当食べたり、よそんちの子どもと芝生で遊んだり。知っている人もぱらぱらとやってくる。
試合は続行中。なんか、メリハリのない単調な運びなんだけど、ときどき会場が「わー」って盛り上がる。よく分かんないけど。10時半頃から見ててて、初めて攻守が交代したのが12時過ぎ。そろそろ飽きて帰る人も出て来るんだけど、その頃から来る人もいる。
午後2時過ぎ。快晴の日の芝生の上。おなかもいっぱいになってビールも飲んで気持ちよくなってきて、いよいよクリケットの試合内容なんかよくわからなくなって来て、「試合はどのくらい進んでるの?」と聞くと、まだ中盤前だという。もう帰る人もあり、これから来ている人もあり。私ももう、今日はこれで十分だなーと思って、適当なところでみなさんにお別れを言って帰ってきました。
* * *
クリケットの試合が好きで見に来ている人ももちろんいるんだけど、コカコーラ杯くらいの試合だと、クリケット観戦っていうのはクリケットを口実にしたピクニックですねぇ。クリケットがみんなが集まる根拠になっているんですけど、真剣に試合に見入っている人はあんまりいない。
あるいはあれは、一種の社交のフォーマット。会食、レセプション、ゴルフ、などに続くものだなと思いましたよ。で、会食やレセプションは始まる時間がちゃんと決まっていて、せいぜい2、3時間で終わるのに対し、クリケット観戦はもっとカジュアルで一日中だらだらやってるという形式の差があるんだけど、その違いを活かした違うフォーマットの社交場になってるなと。なんとなく人が出入りし、普段とは違う開放的なところで友人知人、仕事上の関係者なんかと挨拶を交わし、雑談して関係を確認する。そんな場になってました。
クリケットもワールドカップとかになれば真剣な試合としてみんな観戦するんででしょうけど、コカコーラ杯くらいだと「スポーツ観戦」という意味合いが薄いですよ。サッカーや野球を観戦するのとは違う。縁日や野外コンサートに近いかな。
ということで、クリケットのルールは結局分からずじまいだったんですけど、観戦の仕方はだけはなんとなく学んできましたとさ。
June 19, 2011
政府開発援助=人道支援、ではないよ。
「震災後のこの大変な時に、海外に援助なんかしている場合か。」というご意見はごもっともなんですけど、さりとてODA(政府開発援助)はゼロにできるものではないのです。軍事力を海外展開しないのが国是の日本にとって、ODAは重要な外交ツールなんですよね。
「援助」と言ってはいるものの、「かわいそうだから助けましょう」という人道目的だけではないんです。鎖国しているならいざ知らず、これだけ世界の国々が分ち難くつながってしまっているご時世、日本が食っていくためには「国際社会の安定」は重要な条件で、日本はそれを所与の条件として享受しているだけではいけない規模の国だし、応分の負担をして「国際社会の安定」にコミットしていくことは日本の責務で、またそこから得る利益も大きいと思うのです。
あるいはまた、ODAは「経済開発・市場の開拓」の側面もあります。企業がリスクを取れないところに先にODAが入ってマーケットの地ならしをする。よく取り上げられる例は、たとえば道路建設を支援すれば、車が売れる。地域の交通ネットワークができて人々が豊かになり購買力が上がる。さらに道路建設の技術が移転できれば、自力で経済開発が進み経済成長がもたらされる。そうすれば日本企業にとっても市場が広がるし、生産拠点を開くこともできるかもしれない。・・・と、こんなにトントン拍子に、うまい具合にすべてが進むわけでもないでしょうけど、でもこういう側面があるのも確かです。ODAによるインフラの支援が日本企業の現地進出、現地事業拡大と組み合わせて実施されることもよくあるしね。
ODAの生々しいところでは、日本の「発言力の確保」「対外イメージの向上」、さらに「外国政府の懐柔・支持獲得」という役割もあったりする。表立っては言わないもののやはり援助を受ければ恩義は感じるし、苦しい時に手を差し伸べてくれたとなれば、また別の機会にご恩返しが期待できる。なんかいやらしい感じだし、また恩返しを期待して支援しているわけではないとしても、でも現実としてそうなるわけですよ。たとえば国際社会秩序の維持・形成に重要な役割をもつ国際機関の理事国に日本が立候補したり、あるいは日本人が委員に立候補したときに、日本支持に回ってくれたりする。東日本大震災に際して世界中から支援やお見舞い、救助隊の派遣があったのもこれまでのODAのがあったればこそ、という面もある。普段から日本はよくやってくれている、信頼できる国だというイメージを培っておくことが必要で、ODAはそのための工作費的な役割を持ってます。
アフリカ等の特に脆弱、貧困な国では、ODAはさらに露骨に外交、政治の道具にもなることがあります。日本はそこまで露骨にはやらないですけど、欧米諸国は割と明確にODAと引き換えに被援助国側に改革を要求することがあります。似たような話では、IMFや世界銀行が資金協力の実施と引き換えに財政引き締めや特定の金融政策の実施を求める例がありますけど、そこまでいかなくても、まあ、端的に言ってしまえば「援助するからコレをやるように。」と改革を進めさせるわけです。貧しい国、脆弱な国は往々にして統治機構が弱い上に腐敗していたりするので、ODAと引き換えに改革を進めさせる圧力をかけたりしています。
日本のODAに関しては、対中国でこのところ議論になることが多かったですね。尖閣諸島問題で中国との関係がぎくしゃくしたり、中国がGDPで日本を抜いたりして、対中国ODAも「止めろ」の声が盛り上がりました。たしかに、もはや道路や橋を造ったり、食料を援助したりするODAは止めて当然でしょう。あれだけ自力で発展しているんですからね。でも、ゼロにするのはちょっと待った、と思うんです。単純に中国を非難してdisってれば済むわけではなくて、21世紀の大国である中国とはどうあっても共存共栄を図っていかねばならんわけです。そのためには、中国国内に知日派、親日派が増えてもらわないといけない。多くの中国人に日本を正しく知ってもらわないと。日本の良いところ、日本の足りないところを知る人が増えてもらわないと。ODAには人材育成の事業もいろいろあって、毎年多くの人が途上国から研修、セミナー、留学のために来日していて、たとえば環境関連や社会開発、地方自治などの研修への中国からの参加は、今後も継続していいと思うのです。むしろ、それなりのポジションにいる、あるいは将来そういうポジションにつくレベルの人物の人的交流を増やさないとマズいだろうと思うし、その活動はODA予算で支えられている部分も割と多いんです。
* * *
東日本大震災で国内の復旧・復興事業に巨額の資金需要が発生していて、ODAはなまじ「援助」と呼ばれていることもあり、こんな緊急時に途上国の困っている人に金をばら撒いている場合かというのもごもっともですけど、ODAは日本外交の足腰であって単に「困っている人を助けましょう」というだけのものではないんですよね。日本が国際社会で生き抜くための経費であり、先行投資である面が大きくて、削り過ぎれば国際的信用を失うだけでなく、じりじりと国内の経済にもマイナスの影響をもたらしてしまいます。
本年度のODA予算は約5,700億円。その額については議論もあるだろうと思います。巨額だとも言えるし、国家予算やGDPの規模から比べたら少ないとも言える。すでにピーク時から半分になっているというのをどう見るか、というのもある。しかしとにかく、「震災、津波で大変なんだから止めっちまえ。」という乱暴な議論はよくないです。要はバランス。震災対応も必要だけど、国際社会に対する責務、外交活動も無視できない。「0」か「100」かではない冷静な議論が必要だと思うのです。
「援助」と言ってはいるものの、「かわいそうだから助けましょう」という人道目的だけではないんです。鎖国しているならいざ知らず、これだけ世界の国々が分ち難くつながってしまっているご時世、日本が食っていくためには「国際社会の安定」は重要な条件で、日本はそれを所与の条件として享受しているだけではいけない規模の国だし、応分の負担をして「国際社会の安定」にコミットしていくことは日本の責務で、またそこから得る利益も大きいと思うのです。
あるいはまた、ODAは「経済開発・市場の開拓」の側面もあります。企業がリスクを取れないところに先にODAが入ってマーケットの地ならしをする。よく取り上げられる例は、たとえば道路建設を支援すれば、車が売れる。地域の交通ネットワークができて人々が豊かになり購買力が上がる。さらに道路建設の技術が移転できれば、自力で経済開発が進み経済成長がもたらされる。そうすれば日本企業にとっても市場が広がるし、生産拠点を開くこともできるかもしれない。・・・と、こんなにトントン拍子に、うまい具合にすべてが進むわけでもないでしょうけど、でもこういう側面があるのも確かです。ODAによるインフラの支援が日本企業の現地進出、現地事業拡大と組み合わせて実施されることもよくあるしね。
ODAの生々しいところでは、日本の「発言力の確保」「対外イメージの向上」、さらに「外国政府の懐柔・支持獲得」という役割もあったりする。表立っては言わないもののやはり援助を受ければ恩義は感じるし、苦しい時に手を差し伸べてくれたとなれば、また別の機会にご恩返しが期待できる。なんかいやらしい感じだし、また恩返しを期待して支援しているわけではないとしても、でも現実としてそうなるわけですよ。たとえば国際社会秩序の維持・形成に重要な役割をもつ国際機関の理事国に日本が立候補したり、あるいは日本人が委員に立候補したときに、日本支持に回ってくれたりする。東日本大震災に際して世界中から支援やお見舞い、救助隊の派遣があったのもこれまでのODAのがあったればこそ、という面もある。普段から日本はよくやってくれている、信頼できる国だというイメージを培っておくことが必要で、ODAはそのための工作費的な役割を持ってます。
アフリカ等の特に脆弱、貧困な国では、ODAはさらに露骨に外交、政治の道具にもなることがあります。日本はそこまで露骨にはやらないですけど、欧米諸国は割と明確にODAと引き換えに被援助国側に改革を要求することがあります。似たような話では、IMFや世界銀行が資金協力の実施と引き換えに財政引き締めや特定の金融政策の実施を求める例がありますけど、そこまでいかなくても、まあ、端的に言ってしまえば「援助するからコレをやるように。」と改革を進めさせるわけです。貧しい国、脆弱な国は往々にして統治機構が弱い上に腐敗していたりするので、ODAと引き換えに改革を進めさせる圧力をかけたりしています。
日本のODAに関しては、対中国でこのところ議論になることが多かったですね。尖閣諸島問題で中国との関係がぎくしゃくしたり、中国がGDPで日本を抜いたりして、対中国ODAも「止めろ」の声が盛り上がりました。たしかに、もはや道路や橋を造ったり、食料を援助したりするODAは止めて当然でしょう。あれだけ自力で発展しているんですからね。でも、ゼロにするのはちょっと待った、と思うんです。単純に中国を非難してdisってれば済むわけではなくて、21世紀の大国である中国とはどうあっても共存共栄を図っていかねばならんわけです。そのためには、中国国内に知日派、親日派が増えてもらわないといけない。多くの中国人に日本を正しく知ってもらわないと。日本の良いところ、日本の足りないところを知る人が増えてもらわないと。ODAには人材育成の事業もいろいろあって、毎年多くの人が途上国から研修、セミナー、留学のために来日していて、たとえば環境関連や社会開発、地方自治などの研修への中国からの参加は、今後も継続していいと思うのです。むしろ、それなりのポジションにいる、あるいは将来そういうポジションにつくレベルの人物の人的交流を増やさないとマズいだろうと思うし、その活動はODA予算で支えられている部分も割と多いんです。
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東日本大震災で国内の復旧・復興事業に巨額の資金需要が発生していて、ODAはなまじ「援助」と呼ばれていることもあり、こんな緊急時に途上国の困っている人に金をばら撒いている場合かというのもごもっともですけど、ODAは日本外交の足腰であって単に「困っている人を助けましょう」というだけのものではないんですよね。日本が国際社会で生き抜くための経費であり、先行投資である面が大きくて、削り過ぎれば国際的信用を失うだけでなく、じりじりと国内の経済にもマイナスの影響をもたらしてしまいます。
本年度のODA予算は約5,700億円。その額については議論もあるだろうと思います。巨額だとも言えるし、国家予算やGDPの規模から比べたら少ないとも言える。すでにピーク時から半分になっているというのをどう見るか、というのもある。しかしとにかく、「震災、津波で大変なんだから止めっちまえ。」という乱暴な議論はよくないです。要はバランス。震災対応も必要だけど、国際社会に対する責務、外交活動も無視できない。「0」か「100」かではない冷静な議論が必要だと思うのです。
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